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コピペ初め

 投稿者:資料管理請負人  投稿日:2017年 2月 1日(水)15時11分44秒
  ◆いつものように、まっ茶らけ。
①出だしの文科省天下りの箇所は 朝日(声)天下り、文科省に道徳あるのか2017年1月21日の丸写し

本紹介箇所は
②はおなじみ朝日新聞ブックレビュー
京大経済教授 諸富徹氏の書評の丸写し
③は「はるよ」氏 の書評丸写し
④最後のお得意言葉「ともあれ」以下も「三島一郎」氏の書評からのコピペ。

◆文科省憎し、防衛省憎し、何しろ安倍政権憎しだけが目立つ。
理系の頭も、哲学や文学も語れないシニンだ。だらだらと何を言いたいのかわからない。
長ったらしい切り取りし長ったらしい文章は安倍政権を「ぶっつぶせ」ひとことで終わる。
知ったかぶりしたがるシニン。教養よりコピペ能力だけしか見えてこない。
◆素知らぬ顔をしてコピペ書評を平気で掲載できるような人物を造ってしまった戦後日本
の文教政策こそ見直す時にきている。それを実行に移そうとしているのがシニンの天敵安
倍政権なのだ。
◆ 「法学部や経済学部で鍛えられた思考力・判断力・表現力が、理工系学部出身者のそ
れを上回る」シニン(著者佐和氏も?)の、「文系の思い上がり」こそが国を滅ぼすので
はないかとも思える。

コピペ作品
今月の本 投稿者:月刊読書人 投稿日:2017年 1月31日(火)13時00分(漫画狂)

①文科省が大揺れである。組織的に再就職を斡旋しつつ、問題を隠すため口裏合わせの工作もしていた。OBを間にはさむ仕組みも作り、斡旋を見えにくくしていた。国家公務員法違反やその疑いが指摘される行為は30件以上にのぼり、官僚のトップである次官が辞任した。あきれるのが大学を担当する局長が早稲田大教授になった吉田大輔の例である。早稲田で「国の政策の動向の調査研究」「文科省の事業に関する連絡調整や助言」が大学での仕事とされていた。学生に講義するわけでもなく大学と文科省の仲立ちをするだけで年収1400万円を保証されていたとのこと。 天下りというのは多かれ少なかれそんなのが仕事になるのだろうが、今の大学が文科省による補助金や助成金で大学への統制を強めている実情も反映している。

特に国立大学では法人化になってから「国立大学改革プラン」の一環として「文系廃止」を求めた2015年6月の文科省通達である。それ以来効率的な成果をあげる学部が重視され、特に人文系の学部は縮小・廃止の方向に進んでいる。
理科系にしても、昨年のノーベル生理・医学賞を授与した大隅良典名誉教授が指摘していたが、昔は何を研究するかは大学や学生の自主性に任せられていたが、最近は即効的な有用性ばかりを求められて、基礎科学の研究がおろそかになっている。これでは有能な科学者は育たない、もっと国は日本の将来を考えて助成金、補助金の配分を考えるべきだと。
それに問題なのは、アベゾーが首相になってからというもの、防衛予算が毎年増額され5兆円を突破した。この中で防衛設備に関する研究予算も昨年の30億円が今年は170億円に急膨張している。この研究費は何かというとそのほとんどが大学と共同して安全保障に関する防衛機器を研究開発していく補助金・協力金なのだ。
日本学術会議は、かって戦時中の大学研究機関が軍備拡張のため軍部に協力したことを反省し、軍事用のための研究・技術開発のためには防衛省には協力はしない旨の声明を出していた。だが今の大学の乏しい財源では思うような研究ができなくて、この防衛省の助成金に手を挙げている大学も少なくない。

さて今月に推奨する本の著者は佐和隆光さん(京都大学名誉教授、日本でも著名な経済学者である)。佐和さんは上に述べたような現在の文科省の政策が人文知を軽視し、有用性ばかりを求める大学の文教政策や防衛省がカネ(財源)でつって、大学の教育機関にまで浸犯している実態に警鐘をならしている学者である。
佐和さんは保守的な学者を自認しているが、アベゾーに対しては「この首相の保守思考は論理性も一貫性もなく思想ともいえない」と辛らつに批判している。

経済学のすすめ―人文知と批判精神の復権―
佐和隆光 著(岩波新書)

② 本書は上記で述べた「国立大学改革プラン」の一環として「文系廃止」を求めた文科省通達を契機に書かれたものである。背景にある文系軽視が社会にとっていかに危険か、著者は全編を通じて強い警告を発する。
著者は一見してわかりやすい有用性と効率性を学問に求めることは、かえって社会や組織を衰退させるということを時代の推移から検証する。
学問が「テクノロジーのしもべ」と化して現状追認に終われば、健全な批判精神の育成が難しくなるからだ。批判を通じて異質性や多様性を自らのうちに育み、自己変革を遂げられない社会や組織はもろい。人文知を排斥する国は、全体主義国家になると警告する。

この点でも、数学化・軽量化が進んだ経済学は、人文知(文学、哲学、歴史、心理、芸術など)と絶縁し現状肯定的な学問となった。だが最も独創的な人々は往々にして旺盛な批判精神の持ち主でもある。アップル社のスティーブ・ジョブズは人文知と融合したテクノロジーの重要性を説いたという。

政府の政策を科学的に正当化するためだけに経済学があるのではない。アダムスミスからトーマ・ピケテイまで脈々と流れる人文知と融合した経済学の伝統にこそ、その真価を見出せるのだ。現状への鋭い批判こそが、社会構想を生み出す契機となる。過去の偉大な経済学者はいずれもこうした伝統に連なっていた。

近い将来、人間の知識・技能がAI(人工知能)と代替可能な時代が来るとすれば、思考力・判断力・表現力を涵養できる人文知の重要性はむしろ高まる。そのとき人文知と融合した経済学を学ぶことは大きな力になると、著者は若者へ呼び掛ける。

③率直に言えば、読後感としては、「経済学のすすめ」というタイトルがしっくりこない感じがした。どちらかというと、ユートピアの実現めざす提言者としての経済学者は哲学、歴史などと深く関わらねばならぬと同時に現状(文科省の政策や補助金制度など)に怒りが沸騰し、ザクザクと切り倒して行く感じだからである。
だがこの論理や論調は私の思いとまったく一致する。
また海外の著名な論者の多くも、理系偏重・文系軽視を旨とする日本の文教政策が時代錯誤であること、世界標準からはずれていること、そして日本の産業競争力の更なる低下を招くことを、本書で詳しく紹介している。

④ともあれ本書で著者が強く主張するのは「人文知と批判精神の復権」、言い換えれば「モラル・サイエンスとしての経済学を学ぶこと」にほかならない。モラル・サイエンスとしての経済学を学ぶことが、思考力・判断力・表現力を研ぎ澄ます最短の近道であることを力説する。

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坊主憎けりゃ袈裟まで

 投稿者:資料管理請負人  投稿日:2016年10月22日(土)07時09分59秒
  ジャイアンツフアンだったころ 投稿者:吟遊視人 投稿日:2016年10月18日(火)22時56分【漫画狂】
(前略)
ジャイアンツ、特に読売のやり方にはあいそをつかしました。ましてや日本の三大老害と
言われているナベツネが30年間以上独裁政権をひいている異常な読売の体質にはあきれ
るばかりです。
ジャイアンツを嫌だ、嫌いだというわけではありませんが、ナベツネの読売新聞の支配下
にあるというだけで、ジャイアンツへの憎悪もかさねっていきます。
それでもっぱら、その反動からか広島カープや札幌の日本ハム、福岡のソフトバンクなど
の地方球団を応援したくなるものです。


◆シニンも少年時代は純朴なジャイアンツファンだったんだね。水原や川上にあこがれて
たんだろうね。それが組合活動に染まって「坊主憎けりゃ袈裟まで」になったんだね。

◆この人の大人になってからの原動力は「憎悪」のようだ。2014夏の朝日謝罪事件の時
もそうだったが、「反発」という理由だでわけもなく(ごまかして)擁護に回ったりもする。
憎悪の対象以外は何も見えなくなっていまうのだ。ナベツネの30年をとりあげても、共
産志位の16年はとりあげない。


◆私の母はハンサムが多くて強いジャイアンツのファンだった。最後までファンだった。
渡辺恒夫は嫌いだったが、ジャイアンツは嫌いにならなかった
 

原発プロパガンダ

 投稿者:資料管理請負人  投稿日:2016年10月 2日(日)08時09分43秒
  ◆前半の原発の記事は9.22 東京新聞電子判の引用。
◆書評部分は、岩波書店ブログの解説と朝日新聞ブログの書評のほぼまるうつし。
◆相変わらず自分の言葉は少ない。せめても引用もとくらい明記すべきではないか。
自称リベラル教養人のつもりのようだが、こんなルールも知らないなんて…。
「真のリテラシーを身につけるために必読の書であろう」(これもコピペだが)
笑っちゃう。コピペ能力だけあれば十分なのでは?

注)茶:コピペ 青:コピペ元

コピペ作品
  
今月の本   投稿者:月刊読書人   投稿日:2016年 9月30日(金)23時25分
   高速増殖原型炉「もんじゅ」がようやく廃炉に向かう。今までの自民党政権、官僚、原子力ムラの果てしなき無責任体質と壮大な無駄遣いの挙句の果てにである。
かって私はこの掲示板で反原発のスタンスから、原発推進のトライアングルシステムがいかにごまかしと無駄遣いと利権に染まっているかを、「安倍晋三のおそまつさ」シリーズと同様に何度も書いてきた。


① 例えば、もんじゅについていえば、1970年代の計画当初、もんじゅにかかる費用は350億円という見積もりだった。ところがふたを開けてみると、深刻なトラブルが相次ぎ費用もかさむ。本格稼働から22年間、原子炉を動かせたのは延べわずか2百数日だけだった。08年には10000件以上の点検漏れがあった。稼働しなくても維持するだけで、1日に6000万円もの費用がかかっていた。いままでにもんじゅに使ってきたカネは1兆円以上と言われている。この金額は地元への莫大な補助金は含まれていない。
それに発電できないもんじゅが日々大量の電気を消費する。皮肉というしかない。米国や英国、ドイツは90年代に高速増殖炉の実験から手を引いていた。
青森県、六ケ所村の再処理工場も93年の着工以来23回、完成延期を繰り返し、建設費用は当初の3倍、4兆円以上、その後も、もんじゅ同様トラブル続きで7兆3千円かかっている。これらも含めて核燃料サイクルには少なくとも12兆円(1億円の12万倍ですぞ!)以上が費やされてきたと「東京新聞」は述べている。

このような壮大な無駄遣いをした経過や責任を追及し、検証する姿勢や発言は、当然ながら安倍晋三にはまったくない。それは少なからず、自らも加担しているからだ。

今月の推奨する本としてもんじゅを含めた原発関連施設が、電力業界、マスメディア、行政府のトライアングルとしていかにプロパガンダされたかを暴露した書である。今更ながらこの国の底知れない無責任体質と利権に群がる集団があることを知る。

   原発プロパガンダ   本間龍 著(岩波新書)

②2011年3月11日の福島第一原子力発電所事故発生まで、多くのメディア(新聞・雑誌・テレビ・ラジオ)は、「原発は絶対に事故を起こさない」「万が一事故が起きても、絶対に放射能漏れは起きない」という「安全神話」に彩られた原発礼賛広告や翼賛記事を大量に掲載、放映してきた。しかし、そもそも日本は世界有数の地震国、また世界の活火山の7%が存在する火山国であり、原発設置には全く不向きな地域である。そんな日本でなぜ、安全神話が定着し、国民の80%近くが原発推進に肯定的(2009年内閣府世論調査)という事態が生まれたのだろうか。
 そこには原発は豊かな社会を作り、個人の幸せに貢献するモノだというメッセージを手を替え品を替え送り続けた「広告」の力があった。電力料金を原資とする巨大な資金と日本独自のいびつな広告代理店システムによる寡占市場(主に電通と博報堂)が相まって、世界でも類がないほどのプロパガンダが成功してきたのだ。

③ナチス・ドイツにも似た巧妙な宣伝戦略。実際、1970年代から2011年の福島第一原発事故までの40年間、原発推進広告のために使われた広告額は実に2兆4千億円超。巨大なグローバル企業のトヨタの広告費でも年間500億円であることを想えば破格の額だ。しかもそのすべては我々利用者の電気料金で支払われている。総括原価方式という電気料金に上乗せした支払い方式による。
おおよそ想像していたとはいえ、その内実を具体例とともにあらためて示されるとムカムカとしてくると同時にやりばのない怒りに襲われる。

しかし、最大の問題は3・11以降、一度は影をひそめた原発広告が13年3月頃から息を吹き返していることだろう。「安全神話」のかわりに、現在流布されているのは「事故で放出された放射能の危険性は少なく、健康への悪影響はない」という安心神話だ。震災復興、風評被害対策という錦の御旗の下で繰り返されるプロパガンダ。
「こんなことで騙されるか」といういう認識と自覚が必要である。

④ 著者は、大手広告代理店「博報堂」で約18年間営業現場に勤務した経験に基づく豊富な知識で、国民的洗脳の手法と事例を読み解いている。広告業界の現場にいた人だから、その実態や手法については実に詳しく説得力がある。
原発事故後5年を経て、再稼働の続く今、真のリテラシーを身につけるために必読の書であろう。





コピペ元


Ⅰ.東京新聞社説 2016.9.22
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016092202000181.html

Ⅱ.岩波編集部解説
https://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1604/sin_k884.html
②2011年3月11日の福島第一原子力発電所事故発生まで、多くのメディア(新聞・雑誌・テレビ・ラジオ)は、「原発は絶対に事故を起こさない」「万が一事故が起きても、絶対に放射能漏れは起きない」という「安全神話」に彩られた原発礼賛広告や翼賛記事を大量に掲載、放映していました。しかし、そもそも日本は世界有数の地震国、また世界の活火山の7%が存在する火山国であり、原発設置には全く不向きな地域です。そんな日本でなぜ、安全神話が定着し、「国民の80%近くが原発推進に肯定的(2009年内閣府世論調査)」という事態が生まれたのでしょうか。

 そこには原発は豊かな社会を作り、個人の幸せに貢献するモノだというメッセージを手を替え品を替え送り続けた「広告」の力がありました。電力料金を原資とする巨大な資金と日本独自のいびつな広告代理店システムによる寡占市場が相まって、世界でも類がないほどのプロパガンダが成功したのです。

④著者は、大手広告代理店「博報堂」で約18年間営業現場に勤務した経験に基づく豊富な知識で、国民的洗脳の手法と事例を読み解いていきます。原発事故後5年を経て、再稼働の続く今、真のリテラシーを身につけるために必読の書です。



Ⅲ.朝日新聞書評    2016年7月10日05時00分  評・斎藤美奈子(文芸評論家)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12452023.html?rm=150
『原発プロパガンダ』
 原発に反対する人は国と電力会社を批判する。権力におもねって、正確な報道をしないメディアも批判する。では両者の間をつないでいるのは誰? 広告代理店である。特に上位2社の電通と博報堂は原発の「必要性」と「安全性」を人々に刷り込む上で、不可欠な役割を果たしてきた。

 本ログイン前の続き間龍『原発プロパガンダ』は厳しくいいきる。

 〈一九五〇年代から国策として国が主導し、政官学と電力業界を中心とする経済界が展開した原発推進PR活動は、実施された期間と費やされた巨額の予算から考えて、まさしく世界でも類がないほどの国民扇動プロパガンダだった〉

③ナチス・ドイツにも似た巧妙な宣伝戦略。実際、1970年代から2011年の福島第一原発事故までの40年間、原発推進広告のために使われた額はじつに2兆4千億円超。巨大なグローバル企業の広告費でも年間500億円であることを思えば破格の額だ。しかもそのすべては利用者の電気料金で支払われる。
 半ば想像していたとはいえ、その内実を具体例とともにあらためて示されるとムカムカしてくる。

 原発立地地域の地方紙には巨大広告が載り、それと引きかえに原発に懐疑的な記事が消える。タレントや文化人を招いたシンポジウムの報告が、記事のような顔で載る。広告は載せるが原発批判も辞さなかった北海道新聞や新潟日報のような例はまれで、多くのメディアは札びらで頬をなでるようなやり方に陥落した。

 最大の問題はしかし、3・11後、一度は影をひそめた原発広告が13年3月ごろを境に復活していることだろう。「安全神話」のかわりに、現在流布されているのは「事故で放出された放射能の危険性は小さく、健康への悪影響はない」という「安心神話」だ。震災復興、風評被害対策という錦の御旗の下でくりかえされるプロパガンダ。自分は騙(だま)されていないといいきる自信があなたにはある?

 

MN生

 投稿者:資料管理請負人  投稿日:2016年 8月 4日(木)20時10分16秒
  ◆万華鏡の前身「落書き帳」時代に、K.M生という名前で同じような投稿をしていた。
ペンネームの付け方もこのコピペ大王はパターン化しているようだ。

◆参院選、都知事選で野党が惨敗したのが悔しくて仕方ないのだろう。いよいよ我慢がで
きずに「MN生」の名で安倍新内閣が発表された日に投稿をしたようだ。
安倍氏の秘蔵っ子と言われる稲田氏の防衛大臣就任も気に入らなかったに違いない。

◆「悪質な虚言癖」「無知と無恥」だと他人のことを恥ずかしげも無く言う愚かしさ。

◆K.M生、SUKEHEI、仮面ライター、勢揃いして万華鏡をにぎ合わせたら?
これまた面白い画面になりそうだ。


(新着順)
時代を憂う 投稿者:MN生 投稿日:2016年 8月 3日(水)22時56分
どう考えても、この国がまともに思えない。悪質な虚言癖で、出身校の大学の恩師からまで「無知と無恥」と指摘された安倍晋三ごときが国政選挙で4連勝とは、言論に希望を託することがむなしく思える。
結局「有権者」に値する政治への責任感と関心を抱くような層が、目減りしているのだろう。何を書こうが、この国の変革とは「百年河清を俟つ」に等しいのか。ならば以前のように欧州で暮していた方が、まだ精神的に気楽なはずだ。だがナチに強制収容所に入れられた末に死亡したオシエツキーは、「一国の汚染された精神と効果的に闘おうとするならば、その国の一般的な運命をともにしなければならない」との言葉を残した。ナチが権力を掌握した国家とは現在の言論状況と比較を絶する。他の知識人とは異なり亡命を潔しとしなかったオシエツキーはやはり自分自身の甘さを突き付けていよう。「抵抗する」という以外の選択肢は残されていまい。


マイナンバー制度 投稿者:MN生 投稿日:2016年 2月22日(月)22時46分
人類の英知はその歴史において、奴隷制度を廃止した。だが21世紀の今日に至っても、奴隷根性だけは健在だ。安倍政権が実現を狙っている一枚のカードに全個人情報を盛り込もうというマイナンバーの制度は、国民が国家権力に「どうぞ自分たちをそちらの便利のいいように管理してください」と嘆願するに等しい。
テレビで流される政府広報を疑わず、役所に個人番号カードを申請しに行く「善男善女」の姿は、奴隷根性の最大の特徴である思考停止の賜だ。過去に奴隷が反乱を起こした例は記録されているが、現代の奴隷根性の主たちはそれも思い浮かばぬようだ。
だからこんなことをしでかす政権が、過半数の支持を得て安泰でいられる。だが現在進行しているのは、長年権力が夢みてきた「国民総背番号制」の究極の姿が完成に向かうプロセスなのだ。
それが確立されてしまった暁には、恐るべき警察国家が出現しよう。奴隷根性の主たちは秘密保護法や戦争法に懲りず、またもや子孫に極悪の遺産を残すつもりだろうか。


世界の子供の死に思う 投稿者:MN生 投稿日:2015年12月19日(土)22時44分
21世紀が始まって15年が過ぎようとしている今、改めて思う。「子供たちが殺される」とはどういうことか。自分で身を守る術を知らず、社会、国家にいかなる責任を取りようにもない彼ら、彼女らが殺されるのだ。
かって湾岸戦争後の米英主導による経済制裁によって、推計50万人のイラクの子供たちが殺されたとき、米国務長官であったオルブライトは「そうするだけに値する」とうそぶいた。正気なのか。

そうした「戦争の世紀」が終わったと思ったら、米国はすぐにアフガニスタンとイラクで戦争を始め、統計を取りようがないほどの子供たちを殺害した。軍産複合体という化け物が支配し、シリアでは内戦と称される間接侵略で大量の子供たちを難民に追いやっている米国に、もはや理性や人道主義を期待するのは愚かだ。

もっと愚かで醜悪なのは安倍一派とその御用紙が、かの国に媚びへつらいの限りを尽くす一方、中韓にだけは「情報戦」だの「歴史戦」だのと息巻く姿だろう。この宗主国と属国は、常軌の逸脱という点では共通なのか。


ブラック化する日本 投稿者:MN生 投稿日:2015年11月 7日(土)21時53分
有権者が無知・無責任・無関心で、同時に大メディアが御用化し、選挙制度も「民意」の反映を妨げるならば、「平和」や「民主主義」、「平和」といった用語はすべて建前だけとなり、現首相のようなどんなに低劣極まる人物でも権力を握ったら好き放題にデタラメをやれる―こうした認識を政治の一法則として改めて確立させたのが、昨今のこの国の現状なのだろう。

近似した例は8年にも及んだ米国のブッシュ政権に求められようが、当時自国のふがいなさに嫌気がさして、カナダに逃げ出した人々が少なからずいたという話を聞いたことがある。
しかし、国境を接した逃げ場もないなら、この国ではどうすればいいのだろう。

全権委任法を可決させたナチも顔負けのことを国会でやらされた9月17日の暴挙は、大多数の国民にはとうに記憶の隅にも留めていない風で、おまけに「内閣支持率回復」だと。
そんな話にもならない連中が有権者でいられる国で何を主張しようが、所詮「百年待河清」のごとくなるのだろうか。


参考)昔からのコピペ大王の糞「ベルギリス」

マイナンバー制度 投稿者:新風児 投稿日:2016年 2月22日(月)23時58分
MNさんのマイナンバー制度への危惧は、とても良く理解します。私も危惧している者の一人です。
危惧しているのはアベ政権のもとでのマイナンバーだからです。マイナンバー制度自体は、もっと早く実行して良かったと思います。それは、国全体の効率化から見て、避けては通れない制度だと思うからです。

MN生さんも私も、悪用された時の事をとても危惧をしています。でも、視点を変えて見ると、早くからマイナンバー制度が確立されているヨーロッパの生活から比べて、日本のお役所仕事の非効率さは、驚くばかりです。
インターネットのこの時代に、日本のお役所の窓口に端末が置いていなくて、未だに申請用紙に書き込ませています。銀行業務の非効率さにも同じように驚いてしまいます。

申請用紙を探して、住所氏名、生年月日、男か女か等、昔ながらのお役所仕事です。一頃昔よりスピードアップはされていると思いますが、マイナンバー制度の社会では、いちいち申請書に書き込む無駄を省いてくれます。本人確認も今は運転免許証があるだけです。

一億の人間が、申請用紙に書く非効率から解放されて、受付の窓口にコンピューターの端末が有って、即座に希望する書類がもらえる事で効率化を図る事が出来ます。
ベルギーでは私が住む以前からマイナンバー制度は有りました。40年前の事です。
 

地の底の笑い話

 投稿者:資料管理請負人  投稿日:2016年 8月 1日(月)13時44分18秒
  ◆昨日は都知事選もあってイライラしていたのだろう。書評もいつにもましてコピペだら
けだ。(茶色箇所)
自分の汚い言葉で書く前段部分までもコピペを使う。
上野英信の誕生年が1923でなく1023年とある。平安時代の作家?
コピペエラーだ。そんなことちっとも気にしないのがシニン。

◆「NHK会長とは呑み仲間だった、作家上野とも知り合いだ」。それがどうした!!
例え稚拙だとしても自分の言葉で感想を書け。この人は自分の言葉を持たない空っぽ
人間だ。



コピペ作品
今月の本 投稿者:月刊読書人 投稿日:2016年 7月31日(日)22時56分
かって日本の繁栄を作りだしたのは、日の当たらない地底の炭鉱労働者だった。筑豊の炭鉱でツルハシを振るい、そこで働く人々の生活や気持ちを著したのが記録文学者の上野英信(1023~87)だ。50年代上野自らが炭坑で働いた体験を書いた著書「追われゆく坑夫たち」は、当時の大ベストセラーとなった。

先月松下竜一について書かれた本を紹介した前書きで、「私の好きな九州の作家を挙げろと言われれば上野英信、森崎和江、松下竜一である」と書いたうちの一人だ。50年以上前、大学の学園祭で、上野と向かい合って話したことも、私にとっては懐かしい思い出である。
当時の上野は筑豊で炭住(炭鉱住宅)を改築した「筑豊文庫」を拠点に、著作で閉山した筑豊炭鉱の「弔い合戦」をした。
「ベトナム戦記」を書いた岡村昭彦や、上記の松下竜一、森崎和江、「苦海浄土」を表した石牟礼道子など、この筑豊文庫を度々訪れていたとか。

余談になるが、現NHK会長の籾井勝人とは大学時代のクラスメートで40代初めぐらいまでは、新橋の飲み屋で雑談した旧友だが、彼も筑豊にあった「籾井炭鉱」のせがれだった。麻生太郎(財務大臣)の炭鉱ほどは大きくなかったが。
私に言わせれば、そのころの籾井は、NHK会長になった今ほどひどくはなかった、と思っている。もう少しまともな男だった気がするが、やはり人は地位と名声を手に入れたら様変わりするのだろう。昔の謙虚さがまったくなくなっている。

さて本題に入るが、今月紹介したいのは、上野英信が「自分の作品で一番好きなのはこれだ」と数ある著書の中で言っていた本である

地の底の笑い話     上野英信 著(岩波新書)

本書は京都大学卒業後筑豊の炭田で働いてきた著者が苦心して蒐集した炭坑夫の話をまとめたものである。ボタ山のふもとの納屋生活のあけくれ、また一秒後の生命の保証もない坑内労働のあいまあいま、折に触れて老坑夫たちが語ってくれた懐かしい笑い話、彼らの「笑い話」とは、ただの面白おかしい馬鹿話ではなく、厳しく悲惨な身上と密接に関わった生の逸話だ。

当時は女子供も炭坑で働いていた。死と隣り合わせの劣悪な環境で、恋愛や駆け落ち(八木山越えと呼ばれていた)、監督者による拷問、脱走(ケツワリ)などが繰り返され、それは黒い笑いと哀しみを湛えた話として結実する。

しかし本当に悲惨な話は、そう簡単に語られないもの。独身の女坑夫は、時として条件の良い持ち場(キリハ)と引き換えに監督者(小頭)と肉体関係を強要される。著者はその時のことを具体的に聞き出そうとするが、老いた女坑夫たちはただ「いうてはでけん決まりじゃったけん」といなすばかり。
炭坑の閉山に伴ない、彼らの話は必然的に廃れていく。闇の彼方の貴重な貴重な記録である。

挿絵はすべて山本作兵衛(ずっと以前にこの欄で紹介したことがある)の作品で、「筑豊の地底で生きてきた生粋の炭鉱労働者」である山本が、離職後にその炭鉱生活を克明に絵で記録したものが、章の扉をはじめ、数多く掲載されている。この絵を見るだけでも地の底の所業が分かるものだ。

地の底で働く人々の笑い話を灯として、炭鉱労働者の深い暗い意識の坑道を探ってみたいというのが、著者がこの書に込めた願望であり、動機である。だが個々の話の形式や内容ではなく、その話の主人公や語り手の人生そのもの、労働者としての存在そのものの喜劇性である。坑夫と呼ばれる人間自身が、所詮一片の笑い話以外のなにものでもないというリアリスチックな認識に支えられて、初めて個々の話は生き生きと笑いの生命を獲得するのである。

とにかく一読の価値がある。


コピペ元
●ブック朝日  地の底の笑い話 [著]上野英信
[文]伊藤千尋  [掲載]2010年03月20日 http://book.asahi.com/reviews/column/2011071701255.html

●乱読大魔王日記
http://we23randoku.blog.fc2.com/blog-entry-4516.html
 

脊髄反射 

 投稿者:資料管理請負人  投稿日:2016年 7月17日(日)16時51分50秒
編集済
  選挙前になると必ず脊髄反射行動に出る人がいる。
キーボードを叩き始め汚い言葉で誹謗中傷をうんざりするほど書き続けるのだ。
そして選挙が終わると、この世の終わりとばかりに嘆きの言葉を吐き続ける。
頭で考えるのではなく体が反応してしまうのだろう。

この他に、自分の好きな新聞社を批判されたり、また自分に対して異論を唱えた記事をみ
てもこの脊髄反射現象が起こる。


脊髄反射1

安倍晋三のおそまつさ―その22- 投稿者:シニン 投稿日:2016年 7月10日(日)00時01分 【漫画狂】
(*以下抜粋 )
「共産党が自衛隊を否定していたのは約30年前までのことで、現在は自衛隊をちゃんと認めている。事実でもないことをでっち上げる、それもちゃんとした公党である共産党のデマを大衆の前で煽る。この男の品格まで疑いたくなる仕業であろう。」
「ともあれ明日の選挙、改憲勢力が3分の2だけは超えないことを切に望みたい。日本の未来のためにも、私たちの子供や孫たちの未来のためにも。」


◆選挙当日10日未明、おそまつな「安倍晋三のおそまつさ―その22-」を我慢できず
にいれている。シールズでさえ、奥田氏でさえ、昨晩遅くからから、2/3アピールや特
定候補の宣伝を止めているというのに、この人は28以下か。

◆脊髄反射には知能や理性といったものは関係無いか…。



脊髄反射2 
◆来た来た、漫画狂に来た。
時間がもったいないので手短に文節ごと、下に感想を入れた。

◆今日一日ずっと振り上げた腕の収めどころを考えていたのだろう。
その結果が「国民がバカなのだ」「自民議員に投票した理由を言え!!」だ。
バカに聞いてもしかないのでは? 私も脊髄反射質問には答えない。


参議員選挙が終わって 投稿者:脊髄 投稿日:2016年 7月11日(月)14時25分
わが家では3人そろって夕食をする時は珍しいが、それでも3人そろったときは、安倍晋三の悪口で盛り上がる。一連の「安倍晋三お粗末シリーズ」のネタも娘からもらったことがある。

↑ いったいどんな家族なんだろう。「掲示板はママのものよ」と言ったピラの娘を思い出す。

今朝の朝食の時に、参議員選挙の結果を知って、女房が「日ごろ付き合っている私の周りには安倍さん支持はひとりもいないのに、どうしてこうなるんでしょうかね」とため息をついていたので、私はとっさに「日本国民にはアホかバカが多すぎるんだよ。要するに表面の風評とか事象だとか、みかけだけでしか判断しない軽薄さ、まったく安倍そのものを国民が引きずっているのさ」と、少々悪態をついてしまった。
↑ 日頃つきあっている人も似たものどうしなのだろう。
出た出た、選挙に負けると「民度が低いアホ国民」と言い出す。何様? この人日本人?

どんなバカな国民でも、表現の自由、投票の自由、選択の自由は当然あるのだから、今回の投票結果そのものを否定するわけではないが、この掲示板の読者の中でも自民党に入れた人はいると思うので、ぜひ聞いてみたいことがある。
↑ 結果は否定しないんだ。

それは「どのような理由で自民党候補者に票をいれたか」ということである。
例えば、「身内の方に自民党議員がいる」「憲法は改正すべきだ」「アベノミクスのお蔭で株があがりずいぶんと儲けさせてもらった」などなど・・・・あるかと思うのだが。
(中略)
・・・・と、こんな感じで自民党へ入れた人の理由を推察するが、納得できる理由は浮かんでこない。
ぜひ、どなたか自民党に票を入れた方の率直な理由を教えてほしい。

↑ 教えてあげな~い!! 同じ言語を共有してないから話自体無理無理。
私は、有田ヨシフはもちろんのこと、福島瑞穂や小西洋之氏に投票して当選させた人がど
んな人なのか知りたいけれど、その人から理由を聞こうとは思わない。どんな人か分かれ
は十分だ。

現在ある色々な党はどこも信用できない、という思いで白票を入れるのならともかく、こんな救いようもない劣化した、ていたらくの自民党へ票を入れる人の気がしれない、というのが私の率直な気持ちである。
↑ この最後の三行だけ書けば十分なのに。掲示板に長々と文章を叩き込むことで、骨髄反射
発作がどうにか収まるのだろう。

*脊髄反射中
 

いま、松下竜一を読む ―やさしさは強靭な抵抗力となりうるか―

 投稿者:資料管理請負人  投稿日:2016年 7月 8日(金)17時16分28秒
  ◆いつものように、まっ茶らけ。
上の数行だけが、自分で書いた文章だ。
①著者紹介は、とてつもなく長いが、ほぼwikiの丸写し。
②部分は岩波サイドの紹介文章丸写し。
③は本の要約。この本の要約はPDFに簡単にまとめられていた。これをみれば簡単にま
とめられる。
④は川上隆志が書いた書評の丸写し。

◆「今こそ読もう!」 読んだら自分で考えよう。自分の感想を書こう。
石平太郎『韓民族こそ歴史の加害者である』
百田尚樹『カエルの楽園』
井上達夫『憲法の涙』





コピペ作品
今月の本 投稿者:月刊読書人 投稿日:2016年 6月30日(木)21時46分
九州の作家でベストスリーを挙げるとしたら、私は文句なく森崎和江、上野英信、松下竜一を挙げたい。森崎さんを除けばすでに故人になられているが、3人の著書は未読のものを含めて書庫に数多く保管している。
この3人の中で松下竜一のことは、ずっと以前に上映された緒方拳主演の「豆腐屋の四季」の作者としてご存じかもしれない。確かスイートさんの推薦で彼の著書の一つをこの欄で紹介した記憶もある。

松下竜一の略歴を記すと、
①1937年2月15日、大分県中津市で誕生。生後まもなく肺炎で危篤状態になる。高熱により右目を失明。結核療養のため四年かかって高校卒業後の浪人中、1956年5月8日に母(46歳)が急逝したために進学を断念し、父親の豆腐屋を手伝い始める。豆腐の配達で小さな雑貨店の女主人とその娘(のちの義母と妻)と知り合う。

朝日新聞の短歌欄に投稿し、歌集『豆腐屋の四季』を自家出版。地方の青年のやるせない気持ちを綴った歌集は評判を呼び翌年1969年4月に公刊、ドラマ化もされた。1970年7月9日、豆腐屋を廃業。初のノンフィクション(ルポルタージュ)作品である『風成の女たち』では、セメント工場誘致に反対する女性たちの活躍をルポした。また自らの反公害・反開発運動を基にした『暗闇の思想を』を記し、隔離されたハンセン病患者の詩人・伊藤保の評伝『檜の山のうたびと』、山林地主・室原知幸を中心に下筌ダム反対運動を書いた『砦に拠る』など、骨太のノンフィクション作品を発表。その一方で、自らの息子に読ませるつもりで、児童文学も手がけるなど幅の広い著作活動を行う。
 (wiki丸写し)

甘粕事件によって殺害された大杉栄と伊藤野枝の娘である、伊藤ルイの半生をたどる『ルイズ - 父に貰いし名は』で、1982年に第4回講談社ノンフィクション賞を受賞している。以降、大杉栄の同志、和田久太郎の評伝『久さん伝 - あるアナキストの生涯』、東アジア反日武装戦線を題材とした『狼煙を見よ』、泉水博を書いた『怒りていう、逃亡には非ず』を上梓した。

1996年、自らが発行人の「草の根通信」掲載のエッセイをまとめた『底ぬけビンボー暮らし』を刊行。
2004年6月17日、(脳内出血による一年間の闘病後)永眠。家族と病身を守るため、終生、生家を捨てず。享年67歳。
  (wiki抜粋)
今月に紹介したい本はこの松下竜一の人物像と著書を評した書である。


いま、松下竜一を読む ―やさしさは強靭な抵抗力となりうるか―
下嶋哲朗 著(岩波書店)

②無防備の弱い人間たちは、政治や経済の横暴をどうすればよいか。
本書は「豆腐屋の四季」「ルイズ 父に貰いし名は」「汝を子に迎えん」をはじめとする松下竜一のノンフィクション作品を、「やさしさ」をキーワードにして読み解き、そのためのヒントを探った書である。
極貧の豆腐屋歌人から出発した作家・松下竜一が「いのち」を見つめ、人間を描き、「やさしさはそのまま強靭な抵抗力となりうるか」という問いに向きあい続けた軌跡を鮮烈に描く。
(岩波編集部からのメッセージ箇所丸写し)

その「やさしさ」の原点となったのは小学校時代にさかのぼる。
小学時代の松下少年は運動会が恐ろしかった。何故ならもともと運動神経が鈍く、その上肺気腫でうまく呼吸ができなくて、右目を失明している身では人並みに走れるはずはない。特に全員参加のリレーではクラスメートは竜一少年と組むことを露骨に嫌がった。他のメンバーがどんなに頑張っても竜一の走りの時にかならずビリになるのだ。
4年の運動会のとき、皆から罵倒され続けた竜一少年は運動場を泣きながら飛び出す。ひとり追っかけてきた母親は川原の土手でお互い座りながら、竜一の手をとり、さすりながら「やさしくなれ、やさしくなれ、いつか友達は分かってくれる」と涙をポロポロ流しながら言うのだった。
そしてその後も、果てしなき泥沼に沈むかのごとき兄弟喧嘩や貧しさゆえの家庭内諍いのときでも、母親だけは「やさしくあれ」と繰り返し唱えるのだ
( So-ne Adobe PDFの要約 )

私は今までの読書遍歴では、読書中に涙を流すという書は数少なかったし、その種の本は、ほとんどが創作もの(フィクション・小説)だった。
だが今回の書は、読書中に涙腺が緩んでしまうこと度々だった。歳とって涙もろくなったのかもしれないが、涙が出るくらい私にとっては感動的な書だったと言える。

④やさしさとは何なのか。本書は一貫して読者に問いかける。
母に「やさしかれ」と言われて育ち、市井の暮らしを見つめていた松下は、発電所建設による周防灘埋め立て反対運動に身を投じ、無抵抗の女たちに機動隊が襲いかかる様を目のあたりにする。環境権を訴え、法廷闘争に挑み敗れた。

更に自身の発行する「草の根通信」に爆破テロを起こした爆弾魔の書簡を載せ、国家に抗した人間にやさしい眼差しを注ぐ。
こうした松下竜一の≪やさしさ≫の意味と内容を、著者は時代状況と重ね合わせて読み解いていく。幼き頃右目を失明した中で、肺気腫という持病を持ち度々休息をとらねばならない己の体に焦りを感じながらも、極貧の暮らしのなかで育まれたやさしさ、海を守り虐げられた人たちの心と共鳴する強靭な抵抗力としてのやさしさ。
松下が記録してきたのは、≪非国民≫大杉栄と伊藤ルイの娘ルイ、ハンセン病者、死刑囚を養子にした牧師、冤罪と闘う保母らであった。


松下竜一の愛とやさしさとは少年期における母の≪一度だって強くなれとは言わなかった。ただ、やさしかれ、やさしかれと語りかける≫言葉に、ひたむきに誠実に応えるべし、との強靭な意志力であった。松下竜一は妻への愛とやさしさに寸分も違わぬ愛とやさしさをもち、反人間的な、権威主義的な巨大なものに対して鮮 烈な闘いを挑み続け、それを記録文学として結晶させたのである、と著者は言う。

④’ 本書を読み終えて改めて思う。松下竜一を読もう、今こそ読み返そう、と。


上記④のコピペ元
◆闘う人に注ぐ優しさ
【評者】川上隆志=専修大教授

 やさしさとは何なのか。本書は一貫して読者に問いかける。松下竜一は大分県中津に生まれ、豆腐屋歌人として出発、人間と社会を追求し続けた記録文学作家である。母に「やさしかれ」と言われて育ち、市井の暮らしを見つめていた松下は、発電所建設による周防灘埋立反対運動に身を投じ、無抵抗の女たちに機動隊が襲いかかる様を目の当たりにする。環境権を訴え、法廷闘争に挑み敗れた。さらに自身の発行する「草の根通信」に爆破テロを起こした爆弾魔の書簡を載せ、国家に抗した人間にやさしい眼差(まなざ)しを注ぐ。

 こうした松下竜一の<やさしさ>の変遷を、著者は時代状況と重ね合わせて読み解いてゆく。極貧の暮らしの中で育まれたやさしさ、海を守り虐げられた人たちの心と共鳴する強靱(きょうじん)な抵抗力としてのやさしさ。松下が記録してきたのは、<非国民>大杉栄と伊藤野枝の娘ルイ、ハンセン病者、死刑囚を養子にした牧師、冤罪(えんざい)と闘う保母らであった。


 それにしても九州・筑豊は何と豊かな思想家群を戦後生み出してきたのだろうか。上野英信、森崎和江、石牟礼道子、そして松下竜一…。松下が闘う姿は、フクシマ、辺野古、ヘイトスピーチ、格差社会などの課題を抱える現在において今なお色褪(いろあ)せず、むしろ光り輝いている。

 本書を読み終えて改めて思う。今こそ松下竜一を読もう、今こそ読み返そう。

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この男 こんな男  

 投稿者:資料管理請負人  投稿日:2016年 5月 4日(水)16時35分18秒
  ◆漫画狂の投稿記事の中で「こんな男」「この男」を検索をすると、シニンによる投稿記
事がズラリと並んだ。

◆男性の「性」もはずし、男と呼び捨てにする。
侮蔑、批難、揶揄の色合いをつけて、氏名ではなく、「こんな」や「この」で呼びつける。
固有の氏名を使うとしても、○○クン ○○ちゃん、子馬鹿にした語尾をつける。

◆○○氏→○○さん→○○→○○クン(ちゃん)→この(こんな)男
これが彼の順位づけだ。どんな呼び方(表記)をしているかで、彼がその人物をどう評価
しているかが簡単に判る。評価と言っても、これまた単純に「好き嫌い」に過ぎない。

◆「そんな男」その他、侮蔑的な人の呼び方の例を下記に並べた。
シニン流で…「こんな男を持ち上げるあの人たちの気が知れない」。



石原都政の検証(その5、教育行政)   投稿者:吟遊視人   投稿日:2011年 4月 7日(木)21時20分
(前略)
 横山をさらに煽ったのはシンタロウに指名された教育委員たちだ。特にシンタロウと一橋大学の同窓で丸紅の会長を務めた鳥海巌は起立しない教職員を「ガン細胞みたいなもの」と敵意をむきだしにした。
 また棋士の米長邦雄は教育委員会定例会で、「卒業式で『仰げば尊し』を歌っているかどうか調査しろ」とまで述べている。

 この男が恥をさらした新聞の記事を覚えておられる読者もいることだろう。
 それは「春の園遊会」で将棋士として招かれていたにもかかわらず、天皇・皇后へ「私の仕事は国旗・国歌を学校で徹底させることです」と述べたら、天皇から「あまり強制はせぬように」と言われたとか。
 要するに自分の本分を忘れて天皇のご機嫌をとろうとしたら、逆にたしなめられたということだ。それほどこの男は国家主義的イデオロギーに染まりすぎている。教育委員としてこんな男を指名するシンタロウ自身の識見を問われてもしかたがない。(以下略)


シンタロウ4選   投稿者:吟遊視人   投稿日:2011年 4月11日(月)15時32分
 予想されていたこととはいえ、シンタロウが4選されたことは残念である。というよりも腹がたってしょうがない。新聞もテレビもみたくないというのが正直なところだ。
 世界のメディアでよく言われることであるが、ある政治学者が言った言葉で『その国の政治のレベルはその国の民度に比例する』ということが実によく分る。
 この言葉を更に私なりに言わせてもらえれば、『こんな男を知事に選ぶ都民(投票した都民に限るが)はシンタロウ同様、まともな政治感覚をもってなくて、率直に言えば軽薄で無責任極まる人間だ』ということになる。どんな連中が票をいれたか顔を会わせて聞いてみたい気がする。「どこが良くてシンタロウに投票したのですか?」とね。(以下略)


都知事選   投稿者:吟遊視人   投稿日:2012年12月 9日(日)20時35分
(前略)
 ちなみにこの猪瀬直樹というのは全共闘世代である。信州大学人文学部経済学科を卒業しているが、大学在学中は学生運動の指導者であり、1969年には信州大学全共闘議長をつとめている。大学時代はバリケード封鎖を行ったり、学生運動の主力部隊を率いて上京し、10.21国際反戦デー闘争や佐藤首相訪米阻止闘争に参加したりした学生運動の闘士だった。
 こんな男が小泉やシンタロウにとりいり、気にいられたというのは、いかにこの男がかっての思想や政治スタンスを放棄して体制内でうまい汁を吸ってきたかがわかろうというものだ。(以下略)


総選挙が終わって   投稿者:吟遊視人   投稿日:2012年12月18日(火)20時49分
(前略)頭の回転が悪い。切れ味がない、しゃべるのでさえ「てにをは」などの使い方がデタラメである。という意味で頭が弱いというのが私の見方だ。
 今回の選挙応援でしゃべっていたことなど、よく分析すれば、まさにオツムの弱さを暴露しているだけだった。それゆえ、こんな男が首相になったら、世界の笑いものになるだろうし、5年前の首相のときに「教育基本法」を改悪した罪状もあるようにとんでもないことをやったりするかもしれない。(以下略)


今日は参議院選挙   投稿者:吟遊視人   投稿日:2013年 7月21日(日)17時01分
(前略)いつかの選挙応援で安倍は「私を右翼だと言う人がいますが、・・・」としゃべっていたが、私に言わせれば「一水会」などの正式な右翼組織からクレームを受けるのではと思ったものだ。まあ、右翼であるのは間違いないけれど「チンピラ右翼」という形容詞をつける必要があろう。つまり理念も思想も行動もない男である。戦争でも起これば、真っ先に逃げていくような右翼かもしれない。
とにかくこんな男が長く最高権力者に居座り続ければ続くほど、その悪影響は計り知れない。私達の時代よりも、私の子供や孫の時代になってから、この男のもつ危険性や軽薄さがより多く悪影響が出てくるだろう、と私は考えている。(以下略)


麻生太郎クンの暴言   投稿者:吟遊視人   投稿日:2013年 8月 3日(土)23時47分
(前略)社長や国会議員、大臣になれたのはアッソウ君が「やる気」云々というより麻生コンチェルンの息子であり、いくつかあるうちのオウナー会社を引き継いで社長になっただけで、国会議員になれたのは、莫大な選挙資金と吉田茂の娘を嫁さんにしたお蔭である。
ともかくこんな男オツムの弱い安倍ちゃんと一緒になって、日本の政界を耳打っているのは、それこそ「ミゾウユウ」の危機である。


イスラム国による日本人人質事件   投稿者:吟遊視人   投稿日:2015年 1月26日(月)22時37分15秒      通報 返信・引用 編集済
(前略)なんら反省もなき安倍の対応の仕方をみていると、やはりこんな男を首相にした我々の責任もあるのではと思ったりするのだ。


今月の本   投稿者:月刊読書人   投稿日:2015年 2月28日(土)22時47分
(前略)さて、今月の本の紹介だが、安倍のようなオツムの弱い男がどうして最高権力者となりえたか、あるいはこんな男が権力をどのような形で利用しているのか、このような疑問に対して、日本の歴史的、風土的、日本人的性格から解明するために、大いに参考となる書でもある。


安倍晋三のおそまつさーその8-   投稿者:吟遊視人   投稿日:2015年 7月 8日(水)21時55分
(前略) 更に講師(こんな男を講師で呼ぶのだから、どの程度のレベルの懇話会か想像できるというものだ)として招かれていた作家の百田尚樹(前NHKの経営委員)は、
「沖縄の二つの新聞社は潰さねばならない」(中略)
・・・云々とまさに言いたい放題である。(以下略)
 

居座る

 投稿者:資料管理請負人  投稿日:2016年 5月 1日(日)20時13分37秒
  ◆他の人と比べて、この言葉はシニンが多く使う。下記にあるように、ある状態や人物に
対して否定的、批判的な使い方として使用する。シニンに多くみられるのも判る。

◆【居座る/居×坐る/居据わる】(デジタル大辞泉)
1 ある場所に座って動かないでいる。座りこんだままでいる。また、比喩的に好ましく
ないものがとどまって動かないでいる。
「デモ隊が役所の玄関口に―・る」「梅雨前線が―・る」
2 引き続きとどまって、同じ地位にいる。「責任もとらず社長の座に―・る」
3 相場が変動しない。

◇万理久利による使用例
・掲示板Topに居座る裸の女
・斜光に居座るシニン


◆シニンにとって、好ましく無い人物、疎ましい人物、消えて貰いたい人物とは、
    「貴方たち」=赤松、長岡、万理
    ナベツネ
    モミイ
    アベ である
これに対して
 菅直人の場合は、2014年慰安婦記事問題で世間から一斉に批難をうけた朝日新聞の
ときと同じく、言い訳的または開き直りで「居座れ!」と応援の言葉として使用。
 熊谷徹の場合は、シニンの言語能力不足がもたらした誤使用である。


                    「恨」に取り憑かれたシニン

                


糊塗の輪

再度の要請   投稿者:北島浩之   投稿日:2010年 3月 7日(日)20時48分
(前略)
 そのためにも先に私が「別々にグループを作って、思い切り自分たちの好きなようにやっていこう」という提案についてどのような態度をとられるか表明してください。万理さんにもお願いしたい。
 古賀氏が言うように「追い出したい」ということではありませんが、貴方たちが、それでも一緒にやりたいと言われるなら、これだけの問題を発生した以上、その居座る「理由」をお聞きしたい。
 問題を長引かせるようだったら、「私たちから出て行く」ということにもなりかねません。数人の同人からもこのような意見が出ています。
 その場合は「アルファー」という語呂や「掲示板」については発案者、製作者に帰するということも認識下さい。


漫画狂
菅直人首相   投稿者:吟遊視人   投稿日:2011年 7月15日(金)23時24分
(前略)
 だが最後の最後になってから自派の民主党のみならず、政財官全てを敵にまわすことが分っていながらも、「自然エネルギー」について、執念深く主張するに至っては、やっとこさ彼らしいところが出てきたのではと思っている。
 「一定のメド」を逆手にとっての居直りと居座り。特に「この顔を見たくなければ早く法案を通せ」だなんて、フツウーの人間には言えることではない。性格の悪さなら、歴代首相のなかで5本の指にはいるのではないかと思っている。(以下略)


今月の本   投稿者:月刊読書人   投稿日:2012年12月30日(日)17時05分
(前略)  ナベツネが読売の中に居座り続けている現実は、「アラブの春」で追放された中近東の絶対君主よりも始末が悪い。読売の中から「引退」を勧告する動きさえないのなら、読売の記者や編集者自身が、とっくにジャーナリストとしての気構えと精神を喪失していると思われる。(以下略)


今日は参議院選挙   投稿者:吟遊視人   投稿日:2013年 7月21日(日)17時01分32
(前略) 私に言わせれば、この男は歴代の自民党政治家のうちでもいろんな意味で最低の男だと思っている。歴代最低どころか最悪、最大汚点となる首相である。
いつかの選挙応援で安倍は「私を右翼だと言う人がいますが、・・・」としゃべっていたが、私に言わせれば「一水会」などの正式な右翼組織からクレームを受けるのではと思ったものだ。まあ、右翼であるのは間違いないけれど「チンピラ右翼」という形容詞をつける必要があろう。つまり理念も思想も行動もない男である。戦争でも起これば、真っ先に逃げていくような右翼かもしれない。
とにかくこんな男が長く最高権力者に居座り続ければ続くほど、その悪影響は計り知れない。私達の時代よりも、私の子供や孫の時代になってから、この男のもつ危険性や軽薄さがより多く悪影響が出てくるだろう、と私は考えている。(以下略)


NHK受信料について   投稿者:吟遊視人   投稿日:2014年 3月 4日(火)23時33分
   新風児さんの主張に私も賛同します。(中略)
上脇博之教授は取材に『籾井会長からは何ら反省がまったく感じられない。政府からの独立した放送が不安視される事態だ。公共放送のあるべき姿を訴える為にも支払いを一時停止せざるを得ない』と話している。支払い請求の裁判になった場合に備え、法的な検討も行っているという」
 ともかくも、こんなトンデモナイ会長が居座れば、この男がどんな考えであるか、NHK職員にはきっちりとインプットされているから、大なり小なり歪んだ放送になるでしょう。
それにしても、この会長、全理事から辞表を取り付けていたことを「どこの会社でもやっていることです」なんて、懲りもせずに言っていた。(以下略)


今月の本   投稿者:月刊読書人   投稿日:2016年 4月30日(土)10時40分
(前略)著者は元NHK記者で、1990年からドイツ・ミュンヘンに永く滞在し、そのままドイツに居座った方である。(以下略)






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ドイツ人はなぜ、1年に150日休んでも仕事が回るのか

 投稿者:資料管理請負人  投稿日:2016年 5月 1日(日)20時06分1秒
  渾身のコピペ/欠陥読書人25

◆この本のダイジェストと、アマゾンの書評コーナーの5つ★作品をそっくりそのまま使
用している。5分で読めるダイジェスト版と他人が書いた書評をパソコンからコピーして
貼り付ければ、この長ったらしい投稿もたった「5分で書けるコピペ書評」となる。

◆シニンの投稿記事中、黒字部分がコピペ以外の彼の言葉に近いのだろう。
「なんてこたあない」「安倍はおぞましくも与党の数の力をバックに」「そのままドイツ
に居座った方」「みみぃちい話」等々、彼らしい言葉が目に付く。

◆いつものように、彼が書きたかったことは、この本の書評ではなく最後の定番の言葉「と
もかくも」から始まる「安倍という首相が存命するかぎり、労働者保護の政策は期待でき
ないが、他方、昔の総評や炭労、日教組などのようにきちんと労働条件や解雇を守る組織
があることが大事なのはいうまでもない。 」これだけだ。たった数行で済ませられるの
に…。




茶:大王コピペ箇所
青:底本/コピペ元


コピペ作品

今月の本   投稿者:月刊読書人   投稿日:2016年 4月30日(土)10時40分【漫画狂】
   安倍晋三がよく口にする言葉に「日本を企業が一番活動しやすい国にする」というのがある。なんてこたあない、従業員の労働条件を切り下げることや、法人税を安くすること、労働者派遣法を改悪していつでも首切れる非正規従業員を調整弁にすることなどである。そして安倍はおぞましくも与党の数の力をバックにして、このような環境づくりに励んでいる。その悪影響として安倍が首相になってからというものやたらと「ブラック企業」の話題がメディアに登場するようになった。

①それに対抗してか、今月19日、民進党、共産党、生活の党、社民党の4党は長時間労働や過労死をなくすために、残業時間の法規制などを盛り込んだ労働基準法改正案(長時間労働規制法案)を衆議院に共同提出した。安倍内閣が提出している労働時間の規制を撤廃する「残業代ゼロ法案」(高度プロフェショナル制度)への対案である。

日本ではヨーロッパと違って労働基準法で残業時間の上限を定めておらず、長時間労働が野放しになっている。その労基法さえ踏みにじるサービス残業(タダ働き)も横行している。
これに対し、上記4野党の改正法案は、残業の上限を法律で規制し、次の勤務までに連続休息時間を保証するものだ。裁量労働制についても、会社にいた時間などを使用者が把握・記録し、省令で定める時間を超えないように義務付ける。なんだかやっと労働者の生活と健康を守る法案が出てきた感がする。けれど絶対的な与野党の力関係ではこの法案が日の目をみるのは難しいだろう。


さて今月に推奨したい本は以下の本である。日本の労働条件や労使関係がまだまだ前近代的な要素が残っているのに比べて、ドイツではまったく様相の違う労働者保護や労働環境があることを伝えてくれる本である。

「ドイツ人はなぜ、1年に150日休んでも仕事が回るのか」
熊谷徹 著(青春出版社)

絶好調の経済状況をキープし、失業率も低く、欧州経済の牽引役となっているドイツ。勤勉な国民性で知られるだけに、その好調の原因は、国民がろくに休みも取らずに懸命に働いているからだと思われがちだ。だが、実際は大きく異なる。ドイツ人は土日祝日、有給休暇合わせて年間150日もの休日を取っているという。30日もある有休は100%消化される。それにもかかわらず、同国の労働生産性は日本の1.5倍なのだ。本書では、そうしたドイツの労働環境、法制、政策などについて詳しく解説したうえで、なぜ長時間働くことなく成果を上げられるのか、政治・経済の体制面も含めて探っている。そして、日本がそれに倣い、ワーク・ライフ・バランスを考慮しつつ生産性を上げていくには、具体的にどうしたらいいかを提言している。著者は元NHK記者で、1990年からドイツ・ミュンヘンに永く滞在し、そのままドイツに居座った方である。

本書で筆者が紹介しているドイツの労働者保護を徹底した労働法制と、それを実現するための様々な仕組みを目の当たりにしてしまうと、これだけの法制と仕組み作りに、よくぞ国民的合意が(というよりも、企業経営者や経済界の合意が、といった方がいいかもしれないが)得られたものだと、本当に感心してしまう。

まず、ドイツ人が1年に約150日休むのに対し、日本人の場合、土・日・祝日に実際の有給休暇取得日数8.6日を加えると約124日となり、その差は26日となる。ところが、第3章を見ると、残業時間を含めた1年間の労働時間を1日8時間で割ると、その差は44日に開き、日本では当たり前のように行われているサービス残業を含めると、その差はさらに開いてしまうのだ。

さらに、ドイツの労働者は、こうした休暇や労働時間以外にも様々な形で法律による保護を受けており、しかもその法律の内容が骨抜きにされずに実行されているというのだから、ドイツの労働者保護政策のメニューの幅広さと手厚さは、日本の比ではない。

私が本当に「ドイツは凄い!」と思うのは、これだけ労働者保護を徹底しながら、労働生産性は日本より高く、競争力の高い製品を作って、未曽有の好景気が続いて税収が増え、政府の借金を減らして財政も健全化しているという事実だ。今の日本とあまりにも違うこうした実態を見せ付けられると、素直にドイツを称賛せざるを得ない。
やはり日本の政治の貧困か、それとも政治・経済指導者の資質の違いか。

なぜドイツの労働時間は短いのだろうか。その最大の理由は、政府が法律によって労働時間を厳しく規制し、違反がないかどうかについて監視していることだ。企業で働く社員の労働時間は、「労働時間法」によって規制されている。

ドイツでは労働安全局が立ち入り検査を行って、企業が労働時間法に違反していないかどうか厳しくチェックを行っている。ときおり事前の予告なしに企業を訪れて、労働時間の記録を点検する。検査をした結果、ある企業が社員を組織的に毎日10時間を超えて働かせていたり、週末に働かせたりしていたことが発覚すると、経営者は最高15,000ユーロ(210万円)の罰金を科される。

それゆえに、経営職を目指す管理職の評価(昇格、昇給)は、部内の職員の有給休暇が完璧にとれているか、時間外勤務をいかに少なくして生産性をあげているか、というのが大きく左右されるらしい。
メディアが「組織的に長時間労働を行わせて、労働時間法に違反していた」という事実を報じると、企業のイメージに深い傷がつく。

ここまで読んでくると、40年ぐらい前、私の属した職場環境や直属の課長のことを思い出す。       それはある支店に係長で赴任したころ、すごく忙しいセクションだったので毎月50時間ぐらいは残業していたのだが、係長とは組合員であるにもかかわらず残業の上限(というよりは時間外手当を申告できるのは)は15時間と内々で各課長には指示があってたらしい。
だが私は50時間近くやっているのだからせめて30時間ぐらいはつけていいはずだと思い、(「できるだけ15時間で打ち切る」という内々の決まりは知っていたが)30時間を申告して時間外手当をもらっていた。
だが後で分かったことだが、その時の直属の課長には総務課長や次長から、このことでずいぶんとプレッシャーがかかっていたらしい。少々みみぃちい話ではあるが、つまり私の会社では時間外をつけないように指導するのが管理職の評価になるが、ドイツでは逆に時間外手当を100%つけるように指導するのが、良い評価を得るということである。

ドイツ人は、無駄な仕事をしたり、無駄な時間を費やしたりすることをひどく嫌う。仕事をする時に「費用対効果」の関係を常に考えている。費やす時間や労力に比べて、得られる効果や利益が少ないと思われる場合には、仕事を始める前に、「そのような仕事をする意味があるのか」と真剣に議論する。
さらにドイツでは、「1日の労働時間が10時間を超えると、仕事の効率が目に見えて落ちるし、ミスをする危険が高まるので、長時間労働はしない」と考える人が多い。特に最近多くのドイツ企業では、「イノベーション」が重視されているが、新しいアイディアを生むには、気分転換が極めて重要である。


ただ、筆者は、全ての物事には表と裏があるとし、高い労働生産性を維持するためにドイツが犠牲にしているものとして、派遣社員などの低賃金層の拡大(これは日本も同じ)、サービスの質の低さなども挙げており、社会保障が手厚い分、国民負担率が日本と比べて大きく、可処分所得が少ないことにも触れている。

とにもかくも、安倍という首相が存命するかぎり、労働者保護の政策は期待できないが、他方、昔の総評や炭労、日教組などのようにきちんと労働条件や解雇を守る組織があることが大事なのはいうまでもない。



コピペ元

Ⅰ.赤旗ネット記事 2016.4.20
①長時間労働規制法案野党4党 共同提出
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-04-20/2016042001_03_1.html
民進党、日本共産党、生活の党、社民党の野党4党は19日、長時間労働や過労死をなくすために、残業時間の法規制などを盛り込んだ労働基準法改正案(長時間労働規制法案)を衆院に共同提出しました。安倍内閣が提出している、労働時間の規制を撤廃する「残業代ゼロ」法案への対案です。


http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-04-20/2016042002_04_1.html
日本では、ヨーロッパと違って労働基準法で残業時間の上限を定めておらず、長時間労働が野放しになっています。その労基法さえ踏みにじるサービス残業(ただ働き)も横行しています。
 ところが、安倍内閣が今国会に提出している労働基準法改悪法案では、労働時間規制を全面的に取り払う「残業代ゼロ制度」(高度プロフェッショナル制度)を導入し、何時間働こうが事前に決めた時間分しか払われない「裁量労働制」を営業職などにも拡大しようとしています。
 安倍内閣が掲げる「企業が世界で一番活動しやすい国」づくりのために、長時間労働とただ働きを企業の好きなだけやらせようとするねらいです。

これに対し、4野党の改正法案は、残業の上限を法律で規制し、次の勤務までに連続休息時間(勤務間インターバル)を保障するものです。裁量労働制についても、会社にいた時間などを使用者が把握・記録し、省令で定める時間を超えないように義務付けます。労働時間を抜本的に短縮し、労働者の生活と健康を守るとともに、労働時間短縮によって安定した雇用の拡大にもつながるものです。(以下略)
 (深山直人)



Ⅱ. 5分で読める!おすすめビジネス書  ダイジェストを読む
http://www.tv-tokyo.co.jp/txbiz/joho-kojo/book_01.html
絶好調の経済状況をキープし、失業率も低く、欧州経済の牽引役となっているドイツ。勤勉な国民性で知られるだけに、その好調の原因は、国民がろくに休みも取らずに懸命に働いているからだと思われがちだ。だが、実際は大きく異なる。ドイツ人は土日祝日、有給休暇合わせて年間150日もの休日を取っているという。30日もある有休は100%消化される。それにもかかわらず、同国の労働生産性は日本の1.5倍なのだ。本書では、そうしたドイツの労働環境、法制、政策などについて詳しく解説したうえで、なぜ長時間働くことなく成果を上げられるのか、政治・経済の体制面も含めて探っている。そして、日本がそれに倣い、ワーク・ライフ・バランスを考慮しつつ生産性を上げていくには、具体的にどうしたらいいかを提言している。著者は元NHK記者で、1990年からドイツ・ミュンヘン
(中略)

なぜドイツの労働時間は短いのだろうか。その最大の理由は、政府が法律によって労働時間を厳しく規制し、違反がないかどうかについて監視していることだ。企業で働く社員の労働時間は、「労働時間法」によって規制されている。
ドイツでは労働安全局が立ち入り検査を行って、企業が労働時間法に違反していないかどうか厳しくチェックを行っている。ときおり事前の予告なしに企業を訪れて、労働時間の記録を点検する。検査をした結果、ある企業が社員を組織的に毎日10時間を超えて働かせていたり、週末に働かせたりしていたことが発覚すると、経営者は最高15,000ユーロ(210万円)の罰金を科される。


メディアが「組織的に長時間労働を行わせて、労働時間法に違反していた」という事実を報じると、企業のイメージに深い傷がつく。現在ドイツでは優秀な人材が不足しているので、そのような報道が行われると、優秀な人材に敬遠されることになる。これは企業にとって、大きなマイナスである。
(中略)
ドイツ人は、無駄な仕事をしたり、無駄な時間を費やしたりすることをひどく嫌う。仕事をする時に「費用対効果」の関係を常に考えている。費やす時間や労力に比べて、得られる効果や利益が少ないと思われる場合には、仕事を始める前に、「そのような仕事をする意味があるのか」と真剣に議論する。
さらにドイツでは、「1日の労働時間が10時間を超えると、仕事の効率が目に見えて落ちるし、ミスをする危険が高まるので、長時間労働はしない」と考える人が多い。特に最近多くのドイツ企業では、「イノベーション」が重視されているが、新しいアイディアを生むには、気分転換が極めて重要である。
(以下略)



Ⅲ.ベスト500レビュアー2015年8月7日    投稿者:投稿者gl510氏
http://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R87GT8SK4SRU3/ref=cm_cr_arp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4413044622
本書で筆者が紹介しているドイツの労働者保護を徹底した労働法制と、それを実現するための様々な仕組みを目の当たりにしてしまうと、これだけの法制と仕組み作りに、よくぞ国民的合意が(というよりも、経済界の合意がといった方がいいかもしれないが)得られたものだと、本当に感心してしまう。

まず、ドイツ人が1年に約150日休むのに対し、日本人の場合、土・日・祝日に実際の有給休暇取得日数8.6日を加えると約124日となり、その差は26日となる。ところが、第3章を見ると、残業時間を含めた1年間の労働時間を1日8時間で割ると、その差は44日に開き、日本では当たり前のように行われているサービス残業を含めると、その差はさらに開いてしまうのだ。日本の一見、それなりに整備された休暇や労働時間などの労働法制が、いかにお題目だけに終わっているかを示す典型的な例といっていいだろう。

さらに、ドイツの労働者は、こうした休暇や労働時間以外にも様々な形で法律による保護を受けており、しかもその法律の内容が骨抜きにされずに実行されているというのだから、ドイツの労働者保護政策のメニューの幅広さと手厚さは、日本の比ではない。

私が本当に「ドイツは凄い!」と思うのは、これだけ労働者保護を徹底しながら、労働生産性は日本より高く、競争力の高い製品を作って、未曽有の好景気が続いて税収が増え、政府の借金を減らして財政も健全化しているという事実だ。今の日本とあまりにも違うこうした実態を見せ付けられると、素直にドイツを称賛せざるを得ない。


ただ、筆者は、全ての物事には表と裏があるとし、高い労働生産性を維持するためにドイツが犠牲にしているものとして、派遣社員などの低賃金層の拡大(これは日本も同じ)、サービスの質の低さなども挙げており、社会保障が手厚い分、国民負担率が日本と比べて大きく、可処分所得が少ないことにも触れている。

筆者は最後に、日本人が真似すべきことと、真似すべきでないことを挙げている。真似すべきことの中には、政府や経済界の考え方が変わらないと無理なものもあるが、一企業や職場、労働者自身の意識改革で出来るものも挙げている。まずは、出来ることから、ドイツを見習っていくべきだと思う。 

321

 

さらばアホノミクス

 投稿者:資料管理請負人  投稿日:2016年 4月 3日(日)12時03分15秒
  ◆昨日は褒め上げ上手なお友達から崇高な論説といわんばかりのお誉めの言葉をもらい、
いつもよりさらに汚い罵りの言葉、自己宣伝、そしてコピペに熱が入った幼だ。
どうでもいい言葉がだらだらだらダライラマ。

◆書評に入る前の文章はいつもの安倍バカぶりを見せるシニンバカ。
書評に入ってからは自分の宣伝の繰り返しと(小文字部分)、そして本題にはいったとた
んコピペ嘘くさくなる。
書評の流れはほぼ永江氏が担当した朝日ブックス書評の組立てといっしょだ。後半部分、
意見表明箇所に至っては完全コピーである。
恥じを知れ恥を。

       当たらない経済占い師「パープル」とコピペの匠「コピペ大王」

      



コピペ作品

今月の本   投稿者:月刊読書人   投稿日:2016年 3月31日(木)23時35分【漫画】
(前略)
「さらばアホノミクス」―危機の真相―  浜矩子 著

アベノミクスの本質や功罪、欺瞞性などについては「斜光」や「安倍晋三のお粗末」シリーズで詳しく実態的に批判してきた。それは「レーガノミクス」や「サッチャーイズム」を類似化したアベノミクスという自ら名付けた名称については、その実態や経緯から言えば「アベコベミックス」あるいは「アベノリスク」と言った方が最も言い得ている、とも書いた。
本書は、さらにアベノミクスのバカバカしさや嘘っぽさを明らかにし検証したもので、タイトルまでも「アホノミクス」とこきおろしたものである。
内容については今までに私が言ってきた「斜光」や「言の輪掲示板」、「11期生の万華鏡」などと同じではあるが、著名な経済学者が分析、検証したものであるから、感情に流されずに、より説得的なものになっている。

 アベノミクスの本質を一口で言うのなら、「貧困と格差を放置し、一部のものにだけ収益をもたらす経済政策」ということである。
 つまり株主や金融資本、輸出産業を儲けさせるだけで、庶民の生活向上、所得上昇にはなんら寄与しない。安倍は失業率が改善されたというが、わずか1.5%、それも実態は非正規雇用が極端に増えただけである。企業の業績が良くなれば、賃金に反映されるというが、企業の社内留保金は180兆円が280兆円になり、株主配当金は2.8倍、役員賞与金は2.4倍と庶民とは無縁のところばかりが激増している。
 昨年末から「新三本の矢」なんて言いだしているのは、「旧三本の矢」が破たんしたからであって、この「新三本の矢」というのも(詳細は略するが)まったくもって実現不可能なものばかりである。

本書は「毎日新聞」連載の経済コラム「危機の真相」をまとめたものが中心。しかし、本書のために語り下ろされた第1章「『アベノミクス』の終焉」が面白い。
 なぜアベノミクスは経済政策と呼べないのか。たとえば第1の矢「大胆な金融政策」は日銀による国債買い支えにすぎず、量的緩和の名を借りた財政ファイナンスだから。第2の矢「機動的な財政政策」も国債残高1千兆円ではその余地もなし。第3の矢「成長戦略」は、そもそも焦点がずれている。なぜなら日本が抱えている問題は成長不足でないのだから、という具合である。

 「アベノミクスは安倍の外交安全保障政策のお先棒担ぎに過ぎない」と著者は見破っている。だから生活保護費などは削っても防衛費は増やし続けるわけである。その根っこにあるのは、「強さを取り戻したい」という強迫的ともいえる妄想。しかしグローバリズムと共生の時代、他を押しのけて強くなろうというのは時代錯誤だ。
 経済政策の目的は、崩れた均衡の回復と弱者救済である、と著者はいう。そういう意味でも安倍の経済政策は著者の意図とはまるっきり逆方向を向いている。
貧困と格差を放置する政府なんかいらない。安倍には一時も早く退陣してもらうのが庶民のためだ。





コピペ元

http://book.asahi.com/reviews/column/2015121500001.html
ベストセラー解読(週刊朝日)
さらばアホノミクス [著]浜矩子
■貧困と格差を放置する経済政策
[文]永江朗  [掲載]2015年12月08日

 アベノミクスって効果があったのだろうか。少なくとも、ぼくが生息する出版界では微塵も感じられない。雑誌の売れ行きは低迷し、休刊も続いている。書店の身売り話や閉店も多い。
 失業率は改善したそうだが、非正規雇用が増えただけだ。企業は儲けをたくわえ、給料に回さないから消費は冷え込んだまま。株価もいまいちだ。「新3本の矢」なんて言い出したのは、「旧3本の矢」が外れたからか。
 浜矩子は官邸及びその応援団から忌み嫌われるエコノミスト。新著『さらばアホノミクス』でも、安倍政権の経済政策を徹底的にこき下ろす。なにしろ、もう「アホノミクス」とすら呼ぶに値しないと斬って捨てる。「~ノミクス」とつくのは経済政策だからであり、アベノミクスなんて経済政策ではないというのである。

 この本は「毎日新聞」連載の経済コラム「危機の真相」をまとめたものが中心。しかし、本書のために語り下ろされた第1章「『アベノミクス』の終焉」が面白い。
 なぜアベノミクスは経済政策と呼べないのか。たとえば第1の矢「大胆な金融政策」は日銀による国債買い支えにすぎず、量的緩和の名を借りた財政ファイナンスだから。第2の矢「機動的な財政政策」も国債残高1千兆円ではその余地もなし。第3の矢「成長戦略」は、そもそも焦点がずれている。なぜなら日本が抱えている問題は成長不足でないのだから、という具合。
「アベノミクスは彼の外交安全保障政策のお先棒担ぎに過ぎない」と著者は見破る。なるほど、だから生活保護費などは削っても防衛費は増やし続けるわけだ。その根っこにあるのは、「強さを取り戻したい」という強迫的ともいえる妄想。しかしグローバリズムと共生の時代、他を押しのけて強くなろうというのは時代錯誤だ。
 経済政策の目的は、崩れた均衡の回復と弱者救済である、と著者はいう。貧困と格差を放置する政府なんかいらない。
 

1*9*3*7 

 投稿者:資料管理請負人  投稿日:2016年 1月11日(月)18時40分45秒
  ◆2015最後もまた欠陥読書人は裏切らなかった。

・23時の投稿
・冒頭の「あと数時間で2015年も終わり」「今年読んだ中で一番に印象に残っている本の 紹介をしましょう」。
 文末の「とにかく心にずしりと響く書である」
 導入部分は毎年年末の文章の使い回し。

・大好きな「臭缶金曜日」連載記事の紹介でもある

・大好きな朝日新聞書評(ネットBook Asahi.com)とAmazon ブックレビュー二つからの 丸写し



注)茶:コピペ箇所  青:コピペ元(他人の文章) 緑:本当の評者


コピペ作品 


12月の本   投稿者:月刊読書人   投稿日:2015年12月31日(木)23時11分22秒    返信・引用

   あと数時間で2015年も終わりだ。70歳を過ぎてからは、なんだか年月の過ぎ去りようが特別早いような感じがする。やりたいことはあっても、やらねばならぬという義務感のない日常の中では、時間への緊張感のなさゆえかもしれない。
さてそれではことし最後の本の紹介です。私が今年読んだ中で一番に印象に残っている本の紹介をしましょう。

ことしの7月だったと思うが、武田泰淳著「汝の母を」というドキュメンタリー風の戦争体験記を紹介した。外面的には戦争中、従軍する日本兵の非道性、異常性を明らかにしながらも、従軍した泰淳の内面の葛藤を表現したものだった。
この書を知ったのは、元共同通信社の記者で、今は作家の辺見庸さんが「週刊金曜日」に連載していたご本人の独白的な告発書による。その書が一冊の本として上梓された。2300円と少々高価ではあるが読みがいのある書である。以下、紹介したい。

 「1*9*3*7」       辺見庸 著(週刊金曜日)


タイトルの由来は日中戦争に突入した「1937年」を基点にしたことによる。同年12月に南京大虐殺が起きた。
「もし、私がその場にいたとしたら、自分だったら果たして殺さなかったのか」。著者は日本兵による殺害、略奪、強姦があった戦時に立ち返り、自らにその問いを突き付ける。それが戦争と日本人を掘り下げる本書の出発点となった。

そう問わざるを得ないほどに、戦時中におこなった日本軍の残虐性、非人道性、異常性は際立っていた。堀田善衛の「審判」や武田泰淳の従軍手帳などにはあからさまな実態が述べてあり、これらと著者は正面から向き合う。
「7月の本」の中で紹介したように「汝の母を」には、命乞いをする農民の母に対し、②その息子に母親へ性行為をさせたあと、両方とも殺害してしまうこと、強姦しながら戦友に手を振る兵士、縛られた中国人を刺し殺す訓練の光景なども。著者は正気を保つことに「自信がない」ともらす。
絶望に満ちた事実に正面から向き合った文章を読むのはつらいが、目が離せなくなる。読者にも過去の出来事を自らの問題としてとらえさせる文章力があるのだ。
さらに、この思索は、中国で将校として従軍した亡き実父の残影を見極めようとする試みに及ぶ。
当然ながら亡くなった実父への糾弾や問いは厳しい。

著者は苦悩の据え、どんなに残酷な行為に対しても「これが戦争と言うものだ」「戦争が人間性を歪めた」とする責任転換に満足し、無責任体制が蔓延した戦後日本の問題性を提示していく。
責任を曖昧にすることを許さない「戦争考」には、重すぎほどの説得力がある。


今、改めてこの書の響きを胸に抱えてみる。この書物の中にはいかほどの血の海と屈辱と苦痛の海が横たわっているのだろう。
辺見さんが強いこだわりをもって1937年という時を題材に選んで執筆を開始したとき、この国では、「1937」年のことを記憶から消し去ろうと目論む政権が、過去を現在と未来に直結するべく、憲法も国民主権も次々足下に踏みつけているさなかであった。

安倍一派らが狼藉の限りを尽くしているとき、辺見さんはすべての力を注いで、この国が永久に決別できないであろう深い沼のような闇と真正面から向き合っていた。驚くべき集中力と洞察力、緻密で冷静な筆致、克明な描写力で黙々と抵抗し続けていたのだ。

この作品は単に史実を読者の眼前にさらし、私たちのごく身近にいた男たちが戦場で犯し続けた罪を暴くことだけが目的ではない。辺見さんはその罪の場に自身をも置く。読者も誘われるようにその場に立つ。
自身の内奥に潜む残虐性とその裏の奇妙な愉悦感とが恥となって読者自身を苛む。私とは、人間とは何なのか。戦争とは何なのか。二重三重のまやかしの国にっぽんとは、いったい何なのか。


とにかく心にずしりと響く書である。


コピペ元Ⅰ.



ブック朝日com
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2015120600011.html?guid=on

1★9★3★7(イクミナ) [著]辺見庸
著者:辺見 庸  出版社:金曜日 価格:¥ 2,484
[評者]市田隆(本社編集委員)  [掲載]2015年12月06日

■おまえなら殺さなかったのか
書名の由来は日中戦争に突入した「1937年」。同年12月に南京大虐殺が起きた。
 「おまえなら果たして殺さなかったのか」。著者は、日本兵による殺害、略奪、強姦(ごうかん)があった戦時に立ち返り、自らにその問いを突きつける。それが戦争と日本人を掘り下げる本書の出発点となった。


 そこに立ち塞がるのは、著者を苦しめる事実の数々だ。
 中国で従軍した作家武田泰淳の小説「審判」には、兵士らが上官の気まぐれな命令で、罪ない中国の農民2人を一斉射撃で殺す場面がある。泰淳の「従軍手帖(てちょう)」に②はこの場面と重なる記述があるという。また、兵士らの証言記録には、強姦しながら戦友に手を振る男たち、しばられた中国人を刺し殺す訓練の光景も。著者は、正気を保つことに「自信がない」ともらす。

絶望に満ちた事実に正面から向き合った文章を読むのはつらいが、目が離せなくなる。読者にも過去の出来事を自らの問題としてとらえさせる力があるのだ。
 さらに、この思索は、中国で将校として従軍した、今は亡き実父の残影を見極めようとする試みに及ぶ。

 戦後に地方紙記者になった父が書いた従軍記。その中に中国人を拷問する部下に中止を命じた記述があり、偽善の臭いをかぎとった。「(拷問は)あなたの指揮下で生じたことではないか」。ひとつの行為の責任さえ曖昧(あいまい)にする父の姿。しかし、同じ状況下だったら、自分も「大差なかったのではないか」。
著者は苦悩の末、どんなに残酷な行為に対しても「これが戦争というものだ」「戦争が人間性をゆがめた」とする責任転嫁に満足し、無責任体質が蔓延(まんえん)した戦後日本の問題性を提示していく。責任を曖昧にすることを許さない「戦争考」には、重すぎるほどの説得力がある。この歴史を繰り返さないためにも、本書を読み、改めてまわりを見渡すことが必要に思えた。(評・市田隆=本社編集委員)
    ◇
 金曜日・2484円/へんみ・よう 44年生まれ。作家。78年、中国報道で日本新聞協会賞。『自動起床装置』で芥川賞。




コピペ元Ⅱ

投稿者ゆ~ば   2015年10月26日
形式: 単行本Amazonで購入

 一種の霊気を含んだこの作品は、雑誌に連載中から私の周囲で話題になる問題作であった。その作品が1冊の書物になって私の手元に届いた。
⑤ 今、改めて書物を胸に抱えてみる。この書物の中にはいかほどの血の海と屈辱と苦痛の海が横たわっているのだろう。筆者辺見庸が強いこだわりをもって1937年という時を題材に選んで執筆を開始したとき、この国では、「1★9★3★7」の史実を人々の記憶から消し去ろうと目論む政権が、過去を現在と未来に直結するべく、憲法も国民主権も次々足下に踏みつけているさなかであった。
彼らが狼藉の限りを尽くしているとき、筆者は心身のすべての力を注いで、この国が永久に決別できないであろう深い沼のような闇と真正面から向き合っていた。驚くべき集中力と洞察力、緻密で冷静な筆致、克明な描写力で黙々と抵抗し続けていたのだ。
この作品は単に史実を読者の眼前にさらし、私たちのごく身近にいた男たちが戦場で犯し続けた罪を暴くことだけが目的ではない。筆者はその罪の場に自身をも置く。読者も誘われるようにその場に立つ。

力なき人々を殺すとき強姦するとき、読者自身の内奥に潜む残虐性とその裏の奇妙な愉悦感とが恥となって読者自身を苛む。私とは、人間とは何なのか。戦争とは何なのか。二重三重のまやかしの国にっぽんとは、いったい何なのか。「征くみな」は、今や私の目前に迫っている。





312

 

ユートピア

 投稿者:資料管理請負人  投稿日:2015年12月 1日(火)10時58分52秒
  渾身のコピペ/欠陥読書人22

◆読んでもないのになんでこの本の思い出があるんだろう。
「本」じゃなくて、「ユートピア」という言葉だろ!!
トマスモアのこの本だけでなく、エンゲルスも手塚も読んだのかどうか怪しいくらいだ。
◆『空想より科学へ』、『火の鳥未来編』、そしてこの『ユートピア』を読んでいなくても、ウィキペディアとネットにある書評で読んだつもりにるんだよね。
おまけに紹介も感想もコピペばかり。自分で書いたつもりになっちゃうんだよね。

◆解説はwikiのものをべったり。まるで自分が書いたようにだ。
感想は、竹内みちまろ氏のブログから拝借。

◆まるでくい打ち業者のデータ転用みたいだ。




茶:大王コピペ箇所
青:底本/コピペ元


コピペ作品
今月の本 投稿者:月刊読書人 投稿日:2015年11月30日(月)09時12分【漫画狂】
トーマス・モアの「ユートピア」という有名な本は過去読んだことはなかったが、この本については二つの思い出がある。
一つは、学生時代に属していたサークルの読書会で、エンゲルスの「反デューリング論」の一部である「空想より科学へ」をテキストとしてやっていた。この書は公正と平等な社会を目指す社会主義を希求するには、空想的なユートピアを求めるのではなく、歴史や社会構造から導き出される科学的な論理を検証し取得していくことが大事である、と説く。空想的なユートピアというのは多分トーマス・モアが創作した理想郷と似ていたのだろう。

①あとひとつは手塚治虫の『火の鳥未来編』を感動を持って読んだものだが、ここに描かれた国家は、一見すると平和で秩序正しい理想的な社会ではあるが、徹底的な管理により人間の自由が奪われている。当時の共産圏や今日の管理社会に対する予見であり、このような国家への作者の痛烈な批判でもあった。またトーマス・モアのユートピア思想への批判もあったと思える。

最近、どういう話からトーマス・モアが出てきたのか忘れたが、O-chanと話していたら、彼女が“モアのユートピア」を読んでみたら、面白いわよ”と薦めてくれた。それで、早速図書館から借りて読んでみた。読まれている読者は多いかもしれないが、今月の本として紹介したい。

ユートピア   トーマス・モア著 平井正穂訳 岩波文庫

②  その内容は、第1巻 第2巻、「手紙」の3部で構成され、「第1巻」はユートピアに行った男の話、「第2巻」は作者によるユートピアの様子のまとめ、そして「手紙」は作者がある友人に送った私信という体裁を取る。「手紙」では、ユートピアについて作者がこれまでまとめたことへの違和感と共に、友人に対しユートピアへ行った男に連絡して真意を問いただして欲しいと依頼して終わっている。

③  ユートピアは500マイル×200マイルの巨大な三日月型の島にある。元は大陸につながっていたが、建国者ユートパス1世によって切断され、孤島となった。島の中の川はすべて改造されまっすぐな水路とされ島を一周しており、その中にさらに島がある。この、海と川で二重に外界から守られた島がユートピア本土である。ユートピアには54の都市があり、各都市は1日で行き着ける距離に建設されている。都市には6千戸が所属し、計画的に町と田舎の住民の入れ替えが行われる。首都はアーモロートという。

④ ユートピアでの生活は、モアより数世紀後の概念である共産主義思想が提示した理想像を想起させる。住民はみな美しい清潔な衣装を着け、財産を私有せず(貴金属、特に金は軽蔑され、奴隷の足輪に使用されている)、必要なものがあるときには共同の倉庫のものを使う。人々は勤労の義務を有し、日頃は農業にいそしみ(労働時間は6時間)、空いた時間に芸術や科学研究をおこなうとしている。

ユートピアには貨幣がない。共産制をとっていて、信仰の自由は保障されているが、異教徒の存在価値は否定している。自殺者を出した家族は厳しい迫害を受ける。人々は「万物の父」を信じる一神教である。人々は私利私欲よりも、共和国の繁栄を優先する。

⑥少々違和感を持つのは奴隷の存在である。奴隷は悔い改めれば自由人になれるが。

⑦ ユートピアとは、要するにモアが心の中に作り上げた共和国である。ユートピアもユートピア島を語った男も存在はしない。「手紙」のなかで、わざわざ本編の記述にはモア自身がなっとくできない箇所があることを付け加えている。「手紙」にはユートピアに物語性を付与することと、現実社会の批判を和らげる意図があったことが解説には書かれている。

⑧  読後感としては、要するにヨーロッパ共和国への夢であろう。国や制度、民族は違っていてもキリスト教というバックグラウンド持っている、決して夢物語ではないというモアの思いがあったのかもしれない。そういう意味では、その後数百年経って、EUというゆるやかなヨーロッパ共同体ができたのはモアの夢が現実化したと言えるのかも。ただ昔想像していた空想的な「ユートピア」という概念は、そもそもモア自身が当時の国家や社会と対置するものとして、あるいは現実批判として、いわば故意的に設置されたものと言えるかもしれない。



コピペ元


コピペ元Ⅰ wikipedia 「ユートピア]
逆ユートピアより
①20世紀に入ると、「理想郷」と宣伝されていた社会主義国家や独裁国家が現実の存在となったが、その理想と現実の落差を批判したり、科学の負の側面を強調した小説が描かれた。転倒したユートピア文学であることからこれらは逆ユートピア(ディストピア)と呼ばれる。(中略)また、手塚治虫の『火の鳥未来編』は『1984年』を粉本にしているとみられている。これらに描かれた国家は、一見すると平和で秩序正しい理想的な社会であるが、徹底的な管理により人間の自由が奪われている。当時の共産圏や今日の管理社会に対する予見であり、痛烈な批判である。またそれを生み出した過去のユートピア思想や、その背景となった文明自体も攻撃対象である[1]。

モアの『ユートピア』より
その内容は、
1.第1巻
2.第2巻、
3.「手紙」

の3部で構成され、「第1巻」はユートピアに行った男の話、「第2巻」は作者によるユートピアの様子のまとめ、そして「手紙」は作者がある友人に送った私信という体裁を取る。「手紙」では、ユートピアについて作者がこれまでまとめたことへの違和感と共に、友人に対しユートピアへ行った男に連絡して真意を問いただして欲しいと依頼して終わっている。


モアの『ユートピア』より
ユートピアは500マイル×200マイルの巨大な三日月型の島にある。元は大陸につながっていたが、建国者ユートパス1世によって切断され、孤島となった。島の中の川はすべて改造されまっすぐな水路とされ島を一周しており、その中にさらに島がある。この、海と川で二重に外界から守られた島がユートピア本土である。ユートピアには54の都市があり、各都市は1日で行き着ける距離に建設されている。都市には6千戸が所属し、計画的に町と田舎の住民の入れ替えが行われる。首都はアーモロートという。

モアの『ユートピア』より
ユートピアでの生活は、共産主義国家のそれに似ている。住民はみな白くて美しい清潔な衣装を着け、財産を私有せず(貴金属、特に金は軽蔑され、後述する奴隷の足輪に使用されている)、必要なものがあるときには共同の倉庫のものを使う。人々は勤労の義務を有し、日頃は農業にいそしみ(労働時間は6時間)、空いた時間に芸術や科学研究を行うとしている。



コピペ元Ⅱ  ユートピア/トマス・モアのあらすじと読書感想文
(2005年4月1日 竹内みちまろ著)
http://www5b.biglobe.ne.jp/~michimar/hon3/018.html

 ユートピアは、トマス・モアが心の中に作り上げた共和国です。ユートピアも、ユートピア島を語った男も、実在しません。しかし、トマス・モアは、「手紙」で本書を終わらせていました。「手紙」の中で、わざわざ、本編の記述には、トマス・モア自身が納得できない個所があることを付け加えています。「手紙」には、『ユートピア』に物語性を付与することと、現実社会の批判をやわらげる意図があったことが、解説に書かれていました。

⑤ ユートピアは、夢のような国でした。ユートピアには、貨幣がありません。共産制をとっています。どことなく、原初キリスト教団の匂いもします。信仰の自由は保障されていますが、ユートピア人は、「万物の父」を信じる一神教徒です。ユートピアは、奴隷制をしいています。奴隷は、悔い改めれば、自由人になれます。人々は、私利私欲よりも、共和国の繁栄を優先します。

 「ユートピア」には理想の社会が書き連ねられていました。それは、結果として、現実社会の批判となっていたのかのしれません。「ユートピア」の中には、イギリス王と思われる人物を痛烈に批判している個所もあります。また、⑤信仰の自由は保障しながらも、「異教徒」の存在価値は否定しています。自殺者を出した家は、厳しい迫害を受けます。ローマ・カトリック教会に身を捧げる者として、ギリギリの思想なのかもしれないと思いました。

⑧ 「ユートピア」を読み終えて感じたことは、「ヨーロッパ共和国」への夢でした。「ヨーロッパ共和国」とは、「キリスト教共和国」でも同じ意味です。国や制度、民族は違っても、ヨーロッパはキリスト教という同じバックグラウンドを持っています。我々は「夢」というと未来を思い浮かべますが、ヨーロッパ人の「夢」とは、ローマ帝国の昔の姿に帰ることかもしれません。日本で「ユートピア」と言うと、何か、夢想家のような印象を受けます。しかし、ヨーロッパの(あるラインを超えたランクの)人間であれば、襟を正して耳を傾けるのかもしれないと思いました。

 現在、ヨーロッパ統合が進んでいます。2000年かけて、統一通貨が流通する段階にまでたどり着きました。もう2000年したら、本当に、「ヨーロッパ=キリスト教共和国」ができているのかもしれません。トマス・モアの思想の中に、「ヨーロッパ人の夢」を感じました。

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平成の「阿Q」

 投稿者:資料管理請負人  投稿日:2015年11月 3日(火)11時52分51秒
編集済
  ■NHK解説委員のおそまつさ   投稿者:吟遊視人   投稿日:2015年11月 3日(火)00時19分【漫画狂】
   「言の輪同人誌44号」で、私は最近のマスメディアが極めて権力追随のスタンスを取っていることを明らかにするために、「萎縮するマスメディア」というタイトルで投稿した。(*中略)
先の「言の輪44号」で、籾井が会長になってからというもの、NHKの放送内容にはすべてに「政治部」のチェックがいるようになった、ということを暴露したが、解説委員自身にも腐敗、劣化現象が起こっているようだ。
(*中略)
すべては安倍の一国の首相としては愚かな発言や行為にある。(*以下略)


■「コーヒーと紅茶との巡り合い」を読んで   投稿者:吟遊視人   投稿日:2015年11月 3日(火)01時09分【糊塗】
(*全部略)


    

◆参加国首脳の笑顔と握手がよほど気に入らなかったのか、あるいは「総務」の投稿が気
に入らなかったのか、夜中二つの掲示板に書き込みだ。

◆これまで何度も放送料金など払うものか、NHKは見ないと宣言していたわりには、結
構みている。
「自身に腐敗、劣化現象が起きている」ことを全く自覚していないようだ。
コピペ書評や感情をぶつけるだけの批判、反対ばかりの発言こそ、「愚かな行為」である。

◆この人にコーヒーや紅茶の味わかるのだろうか。
自称リベラル・人権派でなんでもそれに結びつけるに、長いこと西欧の開発途上国搾取の
材料にされ、今なお大手西欧諸国の数社が利益を巻き上げ、生産者たちにはほんの僅かの
利益しか落とされていない現実を取り上げないのだろうか。

マンションの最上階で裸の男女の絵を描き、ネットでコピペ材料を探しまくり、疲れたところで、麦茶のようなインスタントコーヒーを飲む…平成版、品川の「阿Q」。


おまけ

石平太郎 ?@liyonyon  ? 10月28日  ツイート
「阿Qの精神的勝利法」とは何か。ちょうど今発売中の月刊誌「Voice」11月号で連載
されている私の原稿はそれを論じている。たとえば環球時報の場合、米軍にやられた屈辱
を忘れるためには、逆に米軍のことを張り子の虎とあざ笑えば、あたかも自分たちが「勝
利」したかのような気分になれるのだ。

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ブラック企業2「虐待型管理の真相」

 投稿者:資料管理請負人  投稿日:2015年11月 3日(火)11時42分36秒
 
◆いつものように、Bbook Asahi 掲載のジャーナリスト佐々木氏による紹介文とアマゾ
ン掲載カスタマレビューからの貼り付けである。

◆地べたを這いずる労働者、地下の炭鉱夫、狭くて暗い部屋で蹂躙される慰安婦、そんな
弱者の人権をとりもどそうとする人が、マンションの最上階に住んで高見の見物だ。
最上階で真夜中コピペをしまくっているシニンの姿は実に滑稽である。


茶:大王コピペ箇所
青:底本/コピペ元


コピペ作品

今月(10月)の本   投稿者:月刊読書人   投稿日:2015年11月 1日(日)00時43分【漫画】
   スイートさんの良書の紹介に続いて、いつもながら今月読んだ本の中で最も印象的な一冊を紹介します。
私の住まいは東品川3丁目、京浜急行あるいは昔の品川宿、旧東海道沿いの東側にあたる。住み始めた30年ぐらい前では、マンションの最上階だったため視界が180度開けていて、バルコニーからは(晴れた日には)富士山のシルエットが見えたものである。
(*中略)

ブラック企業2「虐待型管理の真相」  今野晴貴 著(文芸春秋)

以前にこの著者は「ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪」を発刊し ベストセラーになったことがある。また「ブラック企業」という名称を広く社会に認知させた。
①この書では、社員を劣悪な条件で働かせ使い捨てにする企業の実態を暴露し、日本社会を震撼させたものである。


前著から2年を経て、今回出た「ブラック企業2」は、さらにそうした企業の社員管理の仕組みを解き明かしている。
紹介される“ブラック企業”とは、募集時と全く異なる雇用実態、無限に課せられる達成不可能なノルマ・目標、業務量に対して圧倒的に不足しているマンパワー、水を飲むことすら許さない長時間労働、休日にも続くパワハラ・恫喝、外部との遮断などを実例をあげて紹介する。
徹底的に働き手を追い込んで冷静な判断力を失わせ、果てには精神を崩壊させ、時には死に追いやる雇用手法である。それは安い労働力で徹底的に搾りつくし、使い捨てるとい
う企業による巧妙な収奪の手法である。
若者の働き方や人間性の問題ではなく、むしろ、若者のやる気や責任感、まじめさを逆手に取るものである。


辞めると同僚や顧客に迷惑がかかると、責任感の強い者ほど辞められなくなる状況を作る。そして長時間労働とパワーハラスメントで冷静な思考ができなくなり、「自分を責める」以外の考えができなくなってしまう。
著者はこれらを「虐待型管理」と呼ぶ。
具体的な会社名や実態が沢山紹介され、読んでいるだけで嫌悪と不快感に襲われる。

こうしたブラック企業群の出現は歴史的なものであることがわかる。
終身雇用制や年功序列、企業別労働組合などの日本独自の会社のありかたは、戦中から戦後にかけて確立した。この会社と従業員が一体となった雇用形態は経営や生産の集中に適合し、高度経済成長を支え、日本経済を世界ナンバー2にまで押し上げる原動力になった。
だが低成長時代に入ると、これが普通の企業では余剰人員を抱え込んで生産性を低下させる原因になり、一方で「会社のため」「全員で努力すれば何とかなる」という圧力を究極まで高めたブラック企業台頭の土壌にまでなってしまったということだろう。

(*中略)
私はこのようなブラック企業の増加を含め、今のような安倍政治が続く限り、日本の社会実態はますますいびつな方向へいっているような気がするが、この著者も最後の章で以下のように警告する。(*以下略)



コピペ元

Ⅰ.ブラック企業2 「虐待型管理」の真相 [著]今野晴貴
[文]佐々木俊尚(ジャーナリスト)  [掲載]2015年04月12日
http://book.asahi.com/reviews/column/2015041200002.html
■社会デザインの変更が必要

① ベストセラーとなった前著『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』は、社員を劣悪な条件で働かせ使い捨てにする企業の実態を明らかにし、日本社会を震撼(しんかん)させた。本書ではさらにそうした企業の社員管理の仕組みを解き明かしている。「夢のある企業」といったコピーで若者のチャレンジ精神に乗って誘い込む。
辞めると同僚や顧客に迷惑がかかると、責任感の強い者ほど辞められなくなる状況を作る。そして長時間労働とパワーハラスメントで冷静な思考ができなくなり、「自分を責める」以外の考えができなくなってしまう。著者はこれらを「虐待型管理」と呼ぶ。実例がたくさん紹介され、読んでいるだけで嫌悪と不快感に襲われる。
 本書を読んでいると、こうしたブラック企業群の出現は歴史的必然だったことがよくわかる。終身雇用制や年功序列、企業別労働組合などの日本独自の会社のありかたは、戦中から戦後にかけて確立した。この会社と従業員が一体となった雇用形態は経営や生産の集中に適合し、高度経済成長を支え、日本経済を世界ナンバー2にまで押し上げる原動力となった。しかし低成長時代に入ると、これが普通の企業では余剰人員を抱え込んで生産性を低下させる原因になり、いっぽうで「会社のため」「全員で努力すれば何とかなる」という圧力を究極まで高めたブラック企業台頭の土壌にもなってしまったということなのだろう。



Ⅱ.★★★★★ 減ることのない、日本を食いつぶす妖怪
├2015/4/2
├参考になった(46人中43人)
└養子の源三郎
http://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RX4R3A144FF1Q/ref=cm_cr_pr_viewpnt?ie=UTF8&ASIN=4166610031#RX4R3A144FF1Q

③しかし、この本で紹介される“ブラック企業”とは、
募集時と全く異なる雇用実態、無限に課せられる達成不可能なノルマ・目標、業務量に対して圧倒的に不足しているマンパワー、水を飲むことすら許さない長時間労働、
休日にも続くパワハラ・恫喝、外部との遮断など、徹底的に働き手を追い込んで冷静な判断力を失わせ、果てには精神を崩壊させ、時には死に追いやる雇用手法である。
それは安い労働力で徹底的に搾りつくし、使い捨てるという企業による巧妙な収奪の手法である。若者の働き方や人間性の問題ではなく、むしろ、若者のやる気や責任感、まじめさを逆手に取るものである。

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平和憲法の深層 

 投稿者:資料管理請負人  投稿日:2015年10月 3日(土)06時14分5秒
 
日本の品格
シニンの品欠く/貧書く




◆「長いこと人権運動をやっている幼馴染みと長いことつきあう僕ってえらいなあ」
 「大学教授をやっているりっぱな憲法学者を仲間にもつ幼馴染み…をもつ僕ってえらいなあ」
 こんな印象だけが残る。
◆今回のコピペ元は、5月「東京新聞」に掲載された立命館大教授福間良明氏による書評である。ほとんど丸写しだ。



茶:大王コピペ箇所
青:底本/コピペ元


コピペ作品


今月の本   投稿者:月刊読書人   投稿日:2015年 9月30日(水)23時24分
 佐賀高校11期生には私の小・中学校出身者は24名いるが、その中でも特に親しいのは渡辺一夫さん。(中略)
 私も学生時代から彼のところへちょくちょく行っていたし、その後の東京転勤もあって、彼の運動の仲間とはだいたいにおいて知り合いになった。
 その彼の仲間の中に古関彰一さんがいた。(中略)
今月の本としてその古関さんが今年になって上梓した下記の本を紹介したい。

     平和憲法の深層      古関彰一  著(ちくま新書)

 安倍を筆頭にして改憲論者がよく口にする言葉であり、改憲の一つの根拠になっているのが
「現憲法は米国に押し付けられたものである」との言い分である。
だが本当に「押し付けられた」のか。本書は、こうした問いを念頭に置きながら、憲法制定過程を実に丁寧に描いている。
当時の関係者の言葉や会見記、回想記や対談などあらゆる資料をベースにして検証しているのだ。
②  確かに、日本政府が提出した憲法改定要綱(松本案)はGHQに
(連合国軍総司令部)に拒まれ、その五日後に手交されたGHQ案が現憲法のベースとなった。 日本政府側がそれに抗えなかったこともよく知られている。だがそれをもって、どれほど「押しつけ」と言えるのか。

 この日本政府が提出した松本案は、それまでの天皇制を骨格にしていた帝国憲法とさほど違わなかった。当然ながらこれをGHQが踏襲するはずはない。

③ だが、実はGHQ案は日本の新憲法案を参考に創られたものだった。と言っても、むろん日本政府案(松本案)ではない。自由民権運動史研究家の鈴木安蔵らのグループ「憲法研究会」が、政府案よりも前に発表した「憲法草案要綱」である。

④  国民主権に基づく立憲君主制や生存権規定、福祉国家をめざす条項が多く盛り込まれていたこの草案は、明治憲法を微修正した程度の松本案に比べて、民主主義的な色彩が際立っていた。GHQはこれを高く評価した。日本政府に突き付けられたGHQ案は、日本人の手による憲法草案を大きく参照したものだった。

 もう大分前に観たものだが、この憲法草案を創った鈴木安蔵を主人公にして「いかにして新しい日本国憲法が創られたか」をモチーフにした「日本の青空」という映画を観たことがある。この映画の真実性を、本書はより具体的、実証的に解説したものであろう。

⑤  安倍などが性懲り無く唱える「押し付け憲法」論は、こうした経緯への理解と想像力を欠いたものでしかない。そもそも、旧体制の温存を意図する政府案(松本案)が採用されたとして、それは「日本人の憲法」になったのだろうか。
 むしろそれこそ国民への「押し付け」になったのではないか。現在の常識でのみ改憲が論じられ、過去の議論の豊かさが顧みられない昨今、現代こそ広く読まれるべき一冊である。




コピペ元
【書評】  平和憲法の深層 (東京新聞2015年5月17日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2015051702000190.html
【評者】福間良明=立命館大教授

「憲法はアメリカに押しつけられた」-よく耳にする言い分である。だが、ほんとうに「押しつけられた」のか。本書は、こうした問いを念頭に置きながら、憲法制定過程をじつに丁寧に描いている。
たしかに、日本政府が提出した憲法改正要綱(松本案)はGHQ(連合国軍総司令部)に拒まれ、その五日後に手交されたGHQ案が現憲法のもととなった。日本政府側がそれに抗(あらが)えなかったこともよく知られている。だがそれをもって、どれほど「押しつけ」と言えるのか。

③ じつは、GHQ案は日本の新憲法案を参考に創られたものだった。と言っても、むろん日本政府案ではない。自由民権運動史研究家の鈴木安蔵らのグループ「憲法研究会」が、政府案よりも前に発表した「憲法草案要綱」である。
④国民主権に基づく立憲君主制や生存権規定、福祉国家をめざす条項が多く盛り込まれていたこの草案は、明治憲法を微修正した程度の松本案に比べて、民主主義的な色彩が際立っていた。GHQはこれを高く評価した。日本政府に突き付けられたGHQ案は、日本人の手による憲法草案を大きく参照したものだった。


 GHQ案の「戦争の放棄」条項は、たしかに主権制限が意図されたものではあった。だが、衆議院の各種委員会で審議されるなかで「平和の理念」を謳(うた)いあげるべく九条一項や前文が練り上げられていった。主権制限条項を不本意ながら受け入れるというより、「平和」を基調とした新たな国家像を積極的に提示しようとしたのである。

⑤ 「押しつけ憲法」論は、こうした経緯への理解と想像を欠いたものでしかない。そもそも、旧体制の温存を意図する政府案が採用されたとして、それは「日本人の憲法」になっただろうか。むしろ、それこそ国民への「押しつけ」になったのではないか。現在の「常識」でのみ改憲が論じられ、過去の議論の豊かさが顧みられない昨今、広く読まれるべき一冊である。

 こせき・しょういち 1943年生まれ。獨協大名誉教授。著書『新憲法の誕生』など。

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『崩れゆく人格-あるルサンチマンの告白』

 投稿者:資料管理請負人  投稿日:2015年 8月13日(木)09時01分45秒
  『崩れゆく人格-あるルサンチマンの告白』

皆様

×月×日開催の全国同窓会への取り組みに関し精力的に活動されていること、大変ご苦労様です。そういう皆さんへ敬意を払いながらも、私自身クラス委員を指名されているのもかかわらず、まだ参加不参加の通知を出していません。

その理由をいくらか述べさせてもらいます。せっかくの皆さんの取り組みへ水をさすような言い方になるかもしれませんが、同窓生1000名のうちのたったひとりの意見ということでご容赦ください。



まず今回の11期生の同窓会とは関係のないことですが、私の過ごした小学、中学の同期会を関東地区在住者(8,9名ぐらい)で毎年4,5月頃開催しています。もう30年くらい続いています。今年も4,5月ごろ開く予定でしたが、××高校11期生の同窓会が×月×日に開催ということなので×月20日、21日に延期しました。

小・中学同期生の××高卒11期生の××在住者などへ呼び掛ければ、どちらの同窓会にも参加者が増えるのではと思ったわけです。

というのも10年前の横浜で開催した11期生の45周年記念同窓会には小・中学卒業者23名の内17名が参加し、翌日に設定していた日光での小・中学の同窓会にも同じ同期生が参加した実績があったのです。



ちなみに今回計画している小・中学の同窓会は20日、21日で映画やテレビドラマにもなった福島の元常磐炭鉱跡にできたハワイアンリゾートへの一泊旅行を兼ねた同窓会です。会費についていえば11800円です(往復のバス代金、一泊二食付のホテル代、フラダンス、ハワイアンの観賞費用、プールや宴会場など施設使用料金、すべてを含んでいます)。



さて、それでですが、クラス委員としてクラス同期生へ呼び掛けたり、小・中学出身の××高11期生と電話で話したりしているうちに、私自身が×日の横浜での11期生同窓会には参加することへのためらいが増すようになった次第です。どちらの同窓会へも参加呼びかけをしたのに、私自身がこのような気持ちになったのは皮肉なことでした。

結局、突き詰めて考えれば「15000円も払って、この同窓会に参加する意味や意義が、自分にとって(あくまで私自身が、ここが肝心です)果たしてあるのか、ということです。そしてもっと具体的に自分へ問うて見たわけです。



1.11期生の同窓会で久しぶりに会いたいという人はいるのか。

  (特にそのような11期生はいない。言の輪同人、斜光やMB会などのメンバーには話してみたい人はいるが、その人たちとはしょっちゅう会っている。会いたい人と、強いて言えば小・中学のガキ友・同期生だが、そのうち何人かは20,21日の小・中学の同窓会で会える)



2.定年後好きになった酒を十分に飲めるはずだ。(飲めるといっても日本酒はダメだし、酒に酔うことはなくても、ビール一本で十分。)



3.10年前の横浜での同窓会の時の料理は結構うまかった。今回も期待できるのでは。(私の家の近くの品川駅前のプリンスホテルやパシフィックホテルで10000円だせばもっとうまいものを食える)



4.××会長には××同人誌を義理で買ってもらっている。そのお返しとして義理にでも同窓会へは参加すべきではないか。

(確かにそうも言えるが、同じ義理と言っても15000円と200円の違いは大きい)

とこのように自分で問うても明確には参加する意義を見出せません。



もっとも昨年、55周年全国同窓会を関東地区で開催することを知った時、今年2月にクラス委員に指名された時は、さして深くも考えずに「参加すること」は当然だと思っていました。

だけど先にも言ったように、高校3年のときのクラスメートや小・中学の同期生と話をするうちに、なんとなくその気持ちが萎えてしまったのです。



個人的なことを言えば、定年後「待ちに待った定年」という感じで、その後あまりにも人との交流の場を広げすぎたことにもよります。

例えば「11期生の色々なサークル(7,8年前のサークル合同新年会で、日高さんから“このリストを見れば、サークル別にはあなたが一番多く参加しているわよ”と言われたことがあります)、他にも絵の会、シネマの会、ブラジルサンパウロ会、NYキャニオン会、会社や出向していた法人のOB会、組合時代の“非企業戦士の会”、学生時代のクラス会やサークルOB会、市民運動や住民運動の集まりや懇親会など」20以上あります。

このようなグループには最近は気が向くものだけ参加することにしてはいますが、「飲み会」も多く含まれて、年金生活の身では交際費がかさむのも気になるからです。

それに全体の「11期生同窓会」といっても、この懇親会が持つ「貴重さや懐かしさ」が次第に薄れていっているのかもしれません。



メールによれば(前回は何名の参加者があったか忘れましたが)現時点で150名もの参加者があると聞いて、大変良かったなと思っています。同時にそれほどの参加者があれば私一人が不参加でもどうでもいいことだなと思えます。

ただ小・中学の同窓会通知の返信用はがきで、「11期生の同窓会には参加するつもりはなかったけれど、ハワイアン・リゾートでの小・中学校の同窓会があるのなら、ついでにどちらも参加したい」という方が3人いました。この方々には、(私が)11期生の同窓会に参加しなければ悪いかなという気持ちはあります。



いずれにしろ、肝心の同窓会への参加、不参加の返事は、すでに締め切っているようだったら不参加としてください。まだ間に合う様だったら、今月のMB会の時に××会長へ是非を返事します。



あまりにもごちゃごちゃ書いて、皆さんの眼を煩わしたことご勘弁ください。                 金日朝

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一人でぃべーと

 投稿者:資料管理請負人  投稿日:2015年 7月 6日(月)06時35分4秒
       

でぃべーと巻頭言
【でぃべーと】 ディベートとは討論、論議、論争などの意味があるが、約20年前このようなタイトルでお互いの意見交換や主張を表現する場として私たちは小冊子を作った経験がある。その後10数年間のブランクはあるが、今回は冊子ではなく新たにホームページ上の掲示板を作ることで、仲間たちの意見や主張を載せたい。 そして、再度ディベートしてみたい。 キザっぽく言えば、言葉を媒体として『連帯を求めて、孤立をおそれず』というスタンスとスタイルでいきたいものだ。(*吟遊視人)



◆開設した2011.1月といえば、αβ間で交わされた覚書により所属している同人誌の名
前を変更せざるを得なかった時である。変更を屈服とはせず表向き前向の出発として宣伝
しまくった。この掲示板制作もその勢いからくるものなのだろうか。

◆現在のところ昨年7月以降の投稿は0である。
活発に投稿があったのは始めの1年だけである。2013年はスパム投稿だけの荒野と
なった。しかもそのまま放置されている。
昨年は同人誌と同じく季刊投稿となった。今年はまだ投稿が無い。

◆全104件  Top2  シニン58 としぞー32
 としぞー氏は2012年7月を最後に姿を消した。


<新着順>    2015.5.1現在(スパム投稿を除く)

2014年    4件
[116] 読売新聞批判  吟遊視人 14/07/13(日) 22:18:56

[115] 世界7月号に載った論文  吟遊視人 14/07/01(火) 14:05:27

[112] 本の紹介  吟遊視人 14/03/31(月) 22:36:58

[111] NHK会長  吟遊視人 14/01/26(日) 23:56:31


2013年     4件
[109] 日本の役所は「飛んで火に入る夏の虫」 ねこ 13/09/21(土) 01:06:03

[106] ロレックス腕時計 ロレックス腕時計 13/05/14(火) 12:03:34

[105] 読売・日本テレビは相変わらず警察の管理下 ねこ 13/04/19(金) 10:50:11

[104] 「メディアの破壊者・読売新聞」書評  吟遊視人 13/01/06(日) 23:35:41


2012年     14件
[103] 選挙が終わって 吟遊視人 12/12/21(金) 01:06:33

[102] うんざりするメディア状況  吟遊視人 12/11/21(水) 23:31:55

[101] 川口 ・ 朝霞 保健所 所長 尾嵜新平 天下り 川口 ・ 朝霞 保健所 所長 尾嵜新平 天下り 12/10/05(金) 20:38:58

[100] 川口 ・ 朝霞保健所 所長 尾嵜新平 天下り 川口 ・ 朝霞保健所 所長 尾嵜新平 天下り 12/10/01(月) 20:14:03

[99] 消費増税よりも金持ち・大企業優遇税制の是正を!!  吟遊視人 12/08/28(火) 21:38:51

[98] さよなら原発10万人集会  吟遊視人 12/07/11(水) 14:09:16

[97] としぞーさんへ 吟遊視人 12/07/05(木) 20:39:19

[96] 是非一読ください  としぞー 12/07/03(火) 21:23:30

[95] パロデイ「真紀子と直紀」  吟遊視人 12/06/30(土) 23:49:17

[94] 吟遊視人さんへ(補完意見として) としぞー 12/06/30(土) 14:18:58

[93] 書評(プロメテウスの罠)  吟遊視人 12/06/28(木) 12:44:44

[92] 「思い出の吉本隆明」  吟遊視人 12/05/07(月) 23:48:29

[91] 絵の同好会グループ展のお知らせ 吟遊視人 12/03/29(木) 22:15:02

[90] 同人誌への投稿文  吟遊視人 12/02/16(木) 21:53:26

[89] テスト 高橋 12/01/28(土) 10:21:36


2011年        82件
[88] 冷温停止状態?のウソツキ  としぞー 11/12/18(日) 21:32:36

[87] 揺れるTPP論議  吟遊視人 11/12/18(日) 18:44:16

[86] 9・19から3・19へ 加山守 11/10/30(日) 13:02:51

[85] 9,19行動について 高橋 11/10/19(水) 20:01:36

[84] 高橋さんへ(感想) としぞー 11/10/18(火) 09:53:56

[83] Re: 明治公園での原発さようなら集会  加山守 11/10/01(土) 13:11:01

[82] 明治公園での原発さようなら集会  吟遊視人 11/09/29(木) 23:50:37

[81] 高橋さんの書評  吟遊視人 11/09/29(木) 23:42:52

[80] 原発にさようなら集会  吟遊視人 11/09/19(月) 22:34:21

[79] 原発さようなら集会  吟遊視人 11/09/14(水) 21:28:37

[78] お疲れ様でした 吟遊視人 11/09/11(日) 22:32:55

[77] (無題) 高橋 11/09/06(火) 10:51:18

[76] (無題) 高橋 11/09/06(火) 10:50:04

[75] 民主党代表選  吟遊視人 11/08/26(金) 22:11:49

[74] 民主党の前原について  としぞー 11/08/23(火) 21:37:57

[73] 吉本隆明  吟遊視人 11/08/13(土) 00:24:55

[72] としぞーさんえ 高橋 11/08/09(火) 20:12:43

[71] 耄碌した吉本隆明と利用するマスコミ  としぞー 11/08/08(月) 22:06:38

[70] 本の紹介(書評) たかはし 11/08/04(木) 23:51:58

[67] 反原発デモ 吟遊視人 11/07/06(水) 21:20:12

[66] 「最小不幸社会」から「宰相不幸社会」へ  としぞー 11/07/02(土) 09:20:30

[65] 原発に関する本  吟遊視人 11/06/07(火) 20:39:34

[64] 本の紹介  高橋 11/06/02(木) 09:10:46

[63] 吟遊視人さんへ  としぞー 11/06/01(水) 12:51:52

[61] 最近巷で流行るもの  としぞー 11/05/23(月) 21:46:45

[60] 原発事故の戦犯(その2)  吟遊視人 11/05/21(土) 21:24:14

[59] どこまで悪質かマスゴミ! としぞー 11/05/18(水) 10:09:04

[58] 原発事故の戦犯(その1)  吟遊視人 11/05/15(日) 23:51:00

[57] 既にチェルノブイリ超え! としぞー 11/05/13(金) 14:22:06

[56] 吟遊視人さんへ  としぞー 11/05/06(金) 21:38:16

[55] 私も本の紹介を 吟遊視人 11/05/06(金) 11:18:16

[54] 枝野 守秘義務違反 としぞー 11/05/03(火) 17:47:19

[53] 渡部恒三語録 としぞー 11/05/02(月) 12:57:44

[52] 本の紹介(書評)  吟遊視人 11/05/01(日) 22:58:58

[51] 少々過激ですが…お気持ちは  としぞー 11/05/01(日) 11:16:18

[50] 道連れ作戦ですね  としぞー 11/04/28(木) 23:17:43

[49] 風力発電  吟遊視人 11/04/27(水) 21:24:41

[48] 吟遊視人さんへ  としぞー 11/04/27(水) 11:06:44

[47] 世田谷区長選  吟遊視人 11/04/25(月) 21:56:48

[46] 吟遊視人さんへ  としぞー 11/04/13(水) 00:02:18

[45] シンタロウ4選  吟遊視人 11/04/11(月) 22:22:40

[44] 読んでください! としぞー 11/04/09(土) 22:57:01

[43] 石原都政(その5、教育行政)  吟遊視人 11/04/09(土) 22:41:20

[42] 石原都政(その4、築地移転問題)  吟遊視人 11/04/09(土) 21:18:27

[41] 石原都政12年間の検証(その3)  吟遊視人 11/04/09(土) 00:02:14

[40] マスゴミの本質 としぞー 11/04/08(金) 15:24:28

[39] 石原都政12年間の検証(その2)  吟遊視人 11/04/07(木) 14:26:53

[38] 私もパロディを 吟遊視人 11/04/07(木) 14:24:39

[37] 官邸周辺ではやるパロディー詩 としぞー 11/04/06(水) 22:21:57

[36] 気象庁は拡散予測していたが  としぞー 11/04/04(月) 15:40:18

[35] 石原都政12年間の実態(その1)  吟遊視人 11/04/03(日) 23:27:51

[33] 原子力発電推進のわけ K1 11/04/03(日) 10:06:49

[32] 誰だ!福島県に原発を… としぞー 11/04/01(金) 11:59:33

[31] ウランの思い出  吟遊視人 11/03/31(木) 22:56:40

[30] 原発は諦めよう K1 11/03/31(木) 20:41:54

[29] 本の紹介  高橋 11/03/31(木) 19:56:16

[27] 今、何が真実か。 としぞー 11/03/30(水) 23:00:08

[26] 書評  吟遊視人 11/03/29(火) 00:03:30

[25] 原発の真実 としぞー 11/03/28(月) 15:31:47

[24] ヒラサワさんへ 吟遊視人 11/03/27(日) 22:08:30

[23] ボランティア  ヒラサワ 11/03/27(日) 08:51:33

[22] 原発事故  吟遊視人 11/03/25(金) 23:27:54

[21] 大人は恥を知れ! としぞー 11/03/25(金) 21:55:42

[20] 大前研一の講演 K1 11/03/24(木) 20:12:46

[19] 外国人が来ない! としぞー 11/03/23(水) 23:07:49

[18] 大震災について思うこと 吟遊視人 11/03/21(月) 23:08:57

[17] プロ野球開幕延期騒動に思う  としぞー 11/03/21(月) 16:01:11

[16] シンタロウの暴言  吟遊視人 11/03/17(木) 23:10:58

[15] 福島第二原発事故に想う 吟遊視人 11/03/16(水) 23:23:31

[14] 同感!!  吟遊視人 11/03/07(月) 23:21:36

[13] 田中秀征のこと  としぞー 11/03/07(月) 22:52:40

[12] 高橋さんの書評(その11)の感想  吟遊視人 11/03/04(金) 12:05:47

[11] 私の書評  吟遊視人 11/03/02(水) 23:54:56

[10] 高橋さんの書評(その11)  吟遊視人 11/02/26(土) 21:23:10

[9] 高橋さんの書評  吟遊視人 11/01/24(月) 22:34:01

[8] 尖閣諸島問題  吟遊視人 11/01/20(木) 22:50:57

[7] 皆様への御礼 としぞー 11/01/19(水) 11:14:59

[6] 本日の新年会  吟遊視人 11/01/18(火) 23:17:54

[5] 確認メッセージ 青木 11/01/18(火) 15:24:20
 ここに書けばいいんですね?

[4] 高橋さんの書評  吟遊視人 11/01/18(火) 14:51:28

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ついに露呈した出自

 投稿者:資料管理請負人  投稿日:2015年 7月 5日(日)11時58分34秒
編集済
 
「韓国人の優秀性」と「日本の劣等性・未開性・野蛮性」
        を扇動する金日朝



※関連資料 クリック→ 隠された人物名
 


日本人の持つ民度   投稿者:金日朝   投稿日:2015年 7月 3日(金)22時26分【漫画狂】
 李凡才さん、李棘載さん、芸術論についてのコメント、ありがとうございます。私も「芸術とは何か」と問われてもよく→全くわかりませんが、そのように考えて→漫画狂を埋めてもらうだけでも書評→コピペをした意味があるかと思います。
さてそれでは表題について。
金鐘珍さんの投稿に日本人の民度についての記述があります。私は金土日さんが言われたという、日本の民主主義はフランスのフランス革命とかアメリカの南北戦争、独立戦争など、革命や戦争を経て獲得したものではないから、その根底になるものが脆弱であるという説に賛成します。
 3ヵ月ぐらい前のことですが、友人に誘われて、日韓問題について、在日韓国人→日本人を含めて1000名ぐらいの聴衆があったシンポジュームに参加したことがあります。
コメンテーターは著名なリベラルな学者と映画監督でした。
最後のプログラムに聴衆のなかから質問の機会があったので、私は以下のような質問をしてみました。

「日本の政治家、なかんずく首相の器についてお二人の意見をお聞きしたい。
お隣の→祖国韓国は過去日本の植民地となり、その後、国の分断ということもあったが、永い軍事政権のあとに、(軍事政権から)死刑の宣告を受けたり、拉致までされた金大中や、それに続いて韓国の人権問題をライフワークとしていたノムヒョンなどが大統領になった。→なられた。
しかるに日本は安倍晋三とか麻生太郎とか、2世、3世のボンボンで、どう見ても首相の器があるとも思えない人物がなっている。
特に安倍については、(私は)史上最悪、最低で、そのうえ頭ももっとも悪い、およそ首相としてはもっとも適しない資質のない人物と思っている。こういう人物は何もしない首相であればいくらか救われるが、始末のわるいことに国民のためにならないようなことばかりやる。
その国の政治のレベルはその国の国民の民度に比例するというのなら、お隣の→祖国韓国よりも、日本人の民度は劣っているのではないか。またこんな連中を首相にまでした日本の民度についてどう考えられるか」

これについてお二人ともほぼ同じようなコメントがってきました。
要約すれば、それは日本人の一種の平和ボケがあるのでは、それと政治の問題を日常性として感じることのできない国民性がある。これはやはり民主主義というのが舶来のもの、いわば歴史的に日本人自らが獲得してきてないものだからではないか。・・・・・・と。

かっての日本は60年安保のときは連日国会前に1万人以上のデモ隊が結集しました。あのころから比べると、日本の民度は政治家の劣化と比例するごとく後退しているかと思っています。

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逆説的

 投稿者:資料管理請負人  投稿日:2015年 7月 5日(日)09時33分8秒
  【逆説】(新明解)
表現の上では一見矛盾して見えるようだが、よくよくその真意を考えて見るとなかなか穿
った説。パラドックス。例、「急がば回れ」など。

逆説+的
漫画狂  全5件   シニン3  欠陥読書人2
糊塗  全5件   シニン4  棘1
小玉・ニューロン   0件

◆逆説に「的」をつけて使うのは、どこか曖昧さを含むことになり逃げ場を作る一方、クール
で知的な雰囲気を醸しだす。一見恰好イイ、この人の場合これだけの使用目的のように見える。

◆なぜなら、前後の文を見ると使い方に疑問が生じるものが見られるからだ。コピペ箇所に使
われている言葉を除くシニン文は、一見論理的に書かれているようで、内容に破綻が見られる。
目をひきつけさせる効果を狙いすぎて、中身がますます空っぽであることが際立つ。



漫画狂


今月の本   投稿者:月刊読書人   投稿日:2010年 1月30日(土)01時47分
 このようなクラスであるゆえに、事あるごとに同級生どころか教師にまで、どうせ2の15だろうと「ふうけもん」扱いにされる。これには腹立たしく、当然何かにつけ学校当局には反抗的にならざるをえない。
 だが逆説的に、このような仲間やクラスメートであれば、一ヶ月も経たたないうちにお互いの気心を知って仲良くなれるし、仲間意識、団結力も生まれるものだ。

今月の本   投稿者:月刊読書人
   投稿日:2010年11月30日(火)22時48分
 しかし、逆説的に言えば、日常的なシンプルな一通一通の手紙であるからこそ、とてつもない苛酷な状況にあってもなおかつそれらを試練と受け止め成長の糧にしていく人間の強さを感じるのだ。


表紙の絵について   投稿者:吟遊視人   投稿日:2011年 2月14日(月)00時16分
最初のタイトルも「パラダイスへの階段」でした。少々ひねくれた意味での「楽園への道」ですが、私が属している「同人言の輪」の今度の26号の表紙のタイトルが「階段」です。それに今回の担当であるフランス在住の亮子・オティニオンさんのデザインした「階段」が素晴らしい。
なんだかこんな絵に「階段」と名付けるのも彼女に悪いなと思って、急遽、逆説的に「地獄への入り口」としたわけです。


見沢知廉という作家   投稿者:月刊読書人
   投稿日:2011年12月 5日(月)20時
 この本の最後に「なぜ見沢知廉なのか」というタイトルで劇作家の高木尋士(たかぎひろし)さんが解説していますが、(中略)
それでも強いて言えば、下記のような著述があります。
「(中略)文学に隠れようもなく顕れているその『主観的真実』。それは、見沢さんの文体を統一的に飾る倒置性に顕れ、テーマを逆説的に扱うという手法に顕れ、価値の変換、無意識下のメタフォーゼというモチーフに顕れている。・・・・」


パロデイ:安倍VS猪瀬   投稿者:吟遊視人
   投稿日:2013年12月 2日(月)00時55分
都知事・猪瀬直樹君が徳州会からの5000万円贈与でオタオタしている風は、「週間金曜日」が猪瀬を「本物のニセモノ」と喝破したように、この男のニセモノぶりが露骨になった。
 一方、今参議院で審議されている「秘密保護法案」は、国民の「知る権利」を奪い、反民主主義的なとんでもない法案であるが、逆説的に言えば、「右向け右」しかノウのない、オツムの弱い安倍晋三ぐらいしか思いつかない法案と言えるかもしれない。


朝日新聞へのバッシング   投稿者:吟遊視人
   投稿日:2014年 9月18日(木)00時12分
朝日の知り合いの記者によると、社内でも経営陣や本社の編集幹部へものすごいブーイングがあったと聞く。
それでこれらは言い訳のできない誤報であることも事実ゆえに、日ごろから非常にかっている「東京新聞」に替えようかと思ったが、今日見た週刊誌のデタラメサを見たら、逆説的に朝日新聞を擁護したくなってきた。
少なくとも政府の御用新聞のような産経や読売をのさぼらせないためにもだ。


糊塗


「恋情の海」に寄せて   投稿者:吟遊視人   投稿日:2010年 2月 8日(月)20時39分【糊塗】
 ドストエフスキーは「罪と罰」の中で、ラスコーリニコフに「神がいなければすべては許されるだろう」と言わせてみた。
 このことは、絶対的な価値を(神)に置くことであり、逆説的に「人の命を奪うこと」ですら神がいなければ許されることだ、ということかもしれない。そこまで言わねばならないほどドストエフスキーが生きた時代というのは(価値観の喪失した)カオスの世界だったのだろうか。


合評御礼(その3)   投稿者:吟遊視人
   投稿日:2011年 7月 2日(土)22時38分【糊塗】
 東電が毎日発表する「本日のピーク時供給力」とは、東電が需要を見ながら恣意的に決めた供給予定量だった可能性が高い。うがった見方をすれば、原発が止まれば、こんなに電気が危機的になると逆説的にPRしているのではと思ったわけです。


合評終了   投稿者:0-chan
   投稿日:2012年 5月 2日(水)10時41分【糊塗】
禅はそういう意味では非常に個人的な宗教ですね。前にどなたかが高僧が死に際に「死にたくない」と言って顰蹙をかった話を書いていらっしゃいましたが、「あるがまま」を逆説的に言えば、この言葉も顰蹙をかう事はないけれど、究極の「鈍さ」には至らなかったとも言えます。つまり雑念を払った、全てに動じない程の「無感覚さ」が「悟り」に繋がるとすればね。



わが庭の冬と春   投稿者:吟遊視人
   投稿日:2012年 6月 9日(土)00時07分【糊塗】
それでもそれまでの穏やかな文体が突然変化する場面があります。3度目の入院、想定外の激痛に襲われたときです。仏様のような慈悲の心が、一変してそうなった事態を恨み、対応処置への憤懣が吹き出てくる表現があります。せっかくの情景と作者の心とのハーモニーが合っていたのが、なんだか壊されたような感じで惜しまれますが、逆説的に言えば、作者の人間性みたいな部分がでていて好ましく思わないでもありません。


秋さんへ   投稿者:吟遊視人
   投稿日:2014年11月 7日(金)23時06分【糊塗】
 それに、「公的な文書が発見されていないから、強制連行はなかった」というのを強引きすぎます。
 この彼の言い方から、二つの判断ができます。
 一つは安倍くんは当時このように規定した国内法や国際法があったことを知らなかった。また公文書が発見されていないことは、強制連行があったとは言えない、と単純に結びつけてしまったこと。つまり逆説的に言えば、公的な文書の存在だけを必要・十分条件、強制連行の証明だと判断したこと。

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