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偶然でしょうか

 投稿者:肖像君  投稿日:2010年12月 9日(木)13時02分25秒
  年末には、新しい来年2011年の手帳に、今、決まっている来年の予定を書き込みはじめます。今年もヤマハから送られて来た手帳に、ムジカやムジコマーニ、パンの練習日程を書き込みはじめました。そこで、気がついたのですが、パンはじめての演奏会、9月19日は敬老の日に当たっています。偶然なのでしょうか。演奏メンバーも、指揮者、ピアニスト以外は敬老対象者、なにか敬老の日にふさわしい事も考えたらいいのかな。なんて思ったりしています。  
 

平均年齢81歳の合唱団

 投稿者:音知メール  投稿日:2010年11月 9日(火)01時07分41秒
編集済
   昨日、平均年齢81歳、最高齢団員91歳という、ムジカも顔負け、といえそうな男声合唱団の公演を、その合唱団に関係する友人の縁が有って聴いてきました。
 メンバーは約30人で、我が「牧神」とほぼ同規模の男声合唱団ですが、この合唱団は戦前の旧制の成城学園高校、現在の成城学園大学の合唱団OBにより戦後いち早く結成された男声合唱団で、以来64年間にわたって延々と活躍を続け、今も設立時からのメンバーが約半数を占めて、平均年齢が81歳になったという団体ですから、私を含め合唱にはもともと縁がなくて、60代、70代になって初めて合唱に取り組むという団員が大部分を占める我が「牧神」とはそもそも成り立ちが違います。この合唱団は母体が伝統と実績のある団体で、特に専属の指導者を置くことなく経験豊富な団員の自主的な運営で、ドイツ民謡や、ロシア民謡など世界の民謡を主に自らの編曲、演出、指揮者も団員によって、自由に音楽表現を楽しむというところを特徴とする合唱団らしくて、演奏を聴いた印象としては、長年手がけて歌いこんだプログラムではさすが年輪を重ねた味わいのある貫禄を感じさせましたが、新しく取り組んで舞台に乗せたと思われるプログラムでは、アンサンブルが充分にこなされていなくて、若干響きが弱々しくバラついた印象を受けました。
 これに対して、合唱には未経験ながら、様々な世界で、様々に人生経験を積み、長年の夢であった音楽に情熱を注ぎ、老後などと消極的なことを云うことなく、更なる人生に花を咲かせようと、専門的な識見と情熱のあるプロの指導者のもとで、基礎的な訓練に励み、意欲的な課題曲に取り組んでいる我が男声合唱団「牧神」の方に、あるいは分があるのではないか、と思いました。

 ところでこの合唱団は、かの指揮者の小沢征爾さんがヨーロッパ遊学の前に最年少組の団員として所属していたと聞いていたので、この日の演奏会の招待席に居たのに気がついていたのですが、この演奏会の後半のプログラムの最初に、賛助出演していた同じ成城学園グループの、主としてアカペラの賛美歌を歌う某合唱団が舞台に登場したときに小沢征爾さんが団員と一緒に舞台の袖から出てきました。やはり、母校の先輩、後輩の記念演奏会に対して挨拶をするのか、と見ていたところ、別に紹介されるでもなくするするとバスパートの席に並んでたち、指揮者が指揮台にたつと何のてらいもなく団員の一人として歌い始めました。
 曲目は我々にもなじみのあるアルカデルトの「アヴェマリア」を含む6曲の賛美歌でしたが、小沢征爾さんは、例の指揮台のときのように時に身をよじりながら心を込めて歌っていました。
 この世界の大指揮者が、特別の紹介も挨拶もなく、ごく自然な様子で合唱団の席に立ったのは流石だな、とちょっと感動しました。
 もっともこの後、プログラムの終曲の前に合唱団の最年長の91歳の団員が挨拶に立って、その中でさすがに小沢征爾さんを紹介しました。その紹介がふるっていまして、こうです。「私たちの合唱団が小沢征爾氏を名誉団員として団の制服の赤シャツを贈呈しようと計画したところ、その計画が漏れてしまい、「ウイーン・フィル」がそれを察知して3日前にあわてて「ウィーン・フィル」の名誉団員の称号を贈呈しました。私たちは遅れをとりましたが、今日この席で赤シャツを贈呈します。」
 小沢さんも止む無く客席から舞台に上がって聴衆に挨拶しました。

 思いがけず世界の小沢征爾氏がアマチュア合唱団の一員として舞台に立つ場面に遭遇したのは幸運というほかないようです。
 身をよじるようにして歌う小沢征爾さんの様子は、我らが「牧神」のゆり先生だったら叱られただろう、と思っておかしくなりました。
 

芭蕉布

 投稿者:どんこ  投稿日:2010年11月 7日(日)14時46分58秒
  パンのバスのメンバーです。時々(しょっちゅう?)音を外したり、出をとちったりしては望先生に優しくにらまれています。掲示板には初登場です。
市民合唱祭出場の特訓が始る中で、芭蕉布の譜読みがありました。心に沁みる曲ですね。チンプンカンプンの歌詞も、ゆり先生の素敵な解説のお陰で明快になりました。ネット上で歌詞に漢字を当てたものが見付かりましたので、参考までにアップロードしてみます。

海の青さに空の青
南の風に緑葉の
芭蕉は情に手を招く
常夏の国 我(わ)した島沖縄(うちなー)

首里の古城の石畳
昔を偲ぶかたほとり
実れる芭蕉熟れていた
緑葉の下 我(わ)した島沖縄(うちなー)

今は昔の首里天(しゅいてぃん)じゃなし
唐を紡ぎ機(はた)を織り
上納ささげた芭蕉布
浅地紺地(くんじ)の 我(わ)した島沖縄(うちなー)

「しゅいてぃんじゃなし」はこれ全部で「首里王様」の事だそうです。「かたほとり}は「片隅}でよいのでしょうか。原曲はハワイ三世のために作られたので最初の歌詞は英語で、後に沖縄の詩人吉川さんが日本語の歌詞を付けられたともありました。
 

Wel'come ! 見学者さん

 投稿者:ユメデ ハモール  投稿日:2010年10月13日(水)13時08分35秒
  ようこそ! 牧神入会の第一印象に大歓迎。コーラスのご経験者と知り、頼もしいです。
この團のメンバーも、コーラス経験者や複数のコーラスに所属する者が多いです。
とは言え、スタートして2年目なので成長過程中で、レパートリーも少ないです。
今後、ご一緒に熟成の方向をめざして、楽しく歌いましょう。
 

どうぞよろしくお願いします

 投稿者:今夜の見学者ですメール  投稿日:2010年10月11日(月)23時03分38秒
  今夜の見学者です。お仲間に入れていただくつもりで来週も参りますのでよろしくお願いいたします。
当方藤沢市に在住、コーラスは高校時代を最後に全く縁がなかったのですが、
30年くらい前に結成間もない某男声合唱団の練習を偶然聴き(Robert Shaw編曲もの)仲間に入れてもらいました。
が、選曲その他で次第に波長が合わなくなってほどなくして退団しました。
長いブランクのあと2、3年前からネットで近辺の男声合唱団を検索しては見学しておりましたが、今夜はビビっと感じるものがありました。
 

合唱雑感(その2)

 投稿者:おんちっち  投稿日:2010年10月 2日(土)22時10分37秒
  私と合唱の出会いは昨年の7月に何気なく入団した「ムジカおさらぎ」でありました。
更にその縁で今年5月には「牧神」の仲間に加えていただきました。

60代半ばでの合唱初体験は相当に晩生(おくて)でありましょう。
それだけに練習では戸惑うことが少なくありませんが、一方で未知の領域に挑戦する
楽しさも味わっています。

私がこれまで合唱に縁遠かったのには幾つか思い当たる節があります。

小学校から高校までの音楽授業の記憶はおぼろげですが、歌を唄った(唄わされた)
にせよ無闇に声を張り上げていたに違いなく楽しかった思い出はありません。
今にして思えばその形式も「合唱」ではなく「斉唱」ばかりでした。

合唱とのニアミスは大学時代一人の友人との関係で生じました。
彼は「ワグネル何とか」という学内の男性合唱団で活動しており、大学合唱界では
トップクラスというその団を大変誇りにしていました。
普段は馬鹿話に興じる愉快な男でしたが、合唱に話題が及ぶと途端に芸術家の表情と
なり難しい音楽論に薀蓄を傾けますので、門外漢の私は辟易して早々に退散すること
しばしばでありました。
合唱は敬して遠ざけるべきものと感じてきた原体験はこの辺りかもしれません。

40年に及ぶ会社生活では、その後半に「カラオケ」なる機械文明が急速に発達して
歌を唄う場面は飛躍的に増えました。
しかしカラオケで唄うのは「自己陶酔に浸る」ためで「他人に聴かせる」ことを
目的としていません。
聴き手側も儀礼的に歌い手へ拍手喝采を送りながら、視線は専ら手元の歌集に向けて
次曲の選定をしているといった光景はよく見かけるところです。
カラオケでは「聴き手に何かを伝えること」を意識することはまずありません。
それは唄うこと、酔いしれることで一幕が自己完結するからで、カラオケが合唱に
発展することはありませんでした。

こうして振り返ってみると、これまでの私の人生で合唱や声楽に触れることが無かった
ことには何となく合点がいきます。

「生真面目で難しいもの」といった先入感で敬遠していた合唱ですが、実際に飛び込ん
でみるとなかなか楽しいものということが分かってきました。
ゆり先生、望先生は練習で折に触れて「先ずは自らのパートをしっかり自分のものとし、
他のパートによく耳を傾け、融合して一体のものに練り上げ、歌の心を客席に届けよう」
といった主旨のお話をされますが、合唱の醍醐味の一つはこのようなプロセスに能動的に
参加することにあるような気がします。

そして合唱でめぐり合えた魅力的な方々との触れ合いがより広がり深まっていくことが
大いなる楽しみです。
 

マーラーの不思議な記念コンサート 補足

 投稿者:音知メール  投稿日:2010年 9月29日(水)23時01分16秒
   このステージの終曲の合唱では、教会から移動してきた少年合唱団が、舞台の両袖から登場してステージの最前列にならび、指揮者とオーケストラ、混声合唱を背にしてフィナーレの「魂の復活を告げる歌」を歌い、厳粛にして壮大に記念コンサートを締め括る演出となっていました。これは舞台の視覚的な効果としても大変華やかな演出で、この演出からすると、「子供の不思議な角笛」の合唱部分も混声合唱とメゾ・ソプラノのソロを含む規模の大きい演奏なので、これを舞台に上げると中間部分が膨らみ過ぎて、「提示部、展開部、終結部」といったプログラム全体の構成のバランスを崩す、と考えたのかも知れません。そして聖堂内での合唱部分の映像は、現地の聴衆には見えないけれど、全世界に配信する記念コンサートの放送用の演出だった、と考えれば納得がいきます。
 いずれにしても大変考えさせるユニークな記念コンサートの放送でした。

 なお教会の聖堂で演奏された合唱は、合唱指揮者が、ステージの指揮とオーケストラの画像と音声をモニターしながら演奏していたのかも知れません。TV画像には現れませんので判りませんが。
 

カリシュトのマーラー

 投稿者:ユメデ ハモール  投稿日:2010年 9月28日(火)10時13分20秒
  25日放送のマーラー番組、途中まで見ました。
音知さんの投稿で、野外ステージの構造や、録音設定の状況など、再認識いたしました。
確かに、あきれるほどお粗末な野外ステージでした。屋外コンサートにも様々なスタイルがあって、一概には言えませんが、放映されたカリシュトのコンサートには驚きました。

ベローナやメルビッシュのような野外オペラとは違って、オーケストラコンサートなのに背面も側面も筒抜けのステージでした。現地で聞く音がどんな状態なのか、想像できませんでした。トマス・ハンプソンやフォン・オッターがマイクをつけていたので、やはりな・・・と思いました。

後半のマーラーも、実は聴きたかったのですが、再放送に託して、寝てしまいました。最近感じること。このような深夜放送のクラシック音楽番組は、よほどの音楽マニアでないと聴かないのではないかと思います。視聴率などが気になるところ・・・
 

マーラー生誕150年記念の不思議な野外コンサーット

 投稿者:音知メール  投稿日:2010年 9月27日(月)15時07分42秒
   25日土曜日の夜、NHKプレミアムシアターで、グスタフ・マーラー生誕150周年記念コンサートの模様を紹介する番組が放送されました。
 マーラーの生地であるチェコのカリシュトで今年の7月に開催された野外コンサートです。カリシュトは住民わずか300人程度の小さな村ですが、10年ほど前にマーラーの生家が保存整備されて、マーラー記念館となり、今では世界中からマーラーフアン、音楽フアンが訪れるそうです。
 演奏は、マンフレート・ホーネック指揮マーラー室内管弦楽団で、ソリストはバリトンがトーマス・ハンプソン、メゾ・ソプラノがアンネ・ソフィー・フォン・オッター、ソプラノがマリタ・ソルベアといった当代きっての一流歌手たち、合唱団はプラーハ・フィルハーモニー合唱団とチェコ少年合唱団です。
 プログラムは交響曲第2番「復活」の第1楽章に続いて、「子供の不思議な角笛」、「さすらう若人の歌」、「最後の7つの歌」からの抜粋が歌われ、最後に「復活」の合唱付の壮大な終楽章で締めく括られる、というマーラーの作品群をコンパクトに、しかも象徴的に集約するような編成でした。
 さて会場ですが、マーラー記念館近くの緑につつまれた広場に設けられた特設のステージで、TV画面で見る限り、タングルウッドや、ワルトビューネ等といった大規模な野外音楽祭で見られるような本格的な構造物の反響版を設けたステージではなく、簡素な造りで、正面はアーチ状の大きなパネルで構成されていますが、背面には反響版がなくて背景の緑の森や遠くの建物などが見えています。
 左右の側面は屋根の鉄骨を支える列柱があり、その列柱は内側に湾曲したパネルで覆われていて反響版の役割を担っているようですが、列柱の間は開放されています。そして屋根はスチールパイプのトラスにビニール・キャンバスが張られていますが、天井に当たる部分は、おそらく樹脂ガラスで出来た曲面状の反響版が吊り下げられて格子状に配置されています。
 そしてステージの前面は池になっていて、客席はこの池の反対側に設営されており、聴衆は池を隔ててステージからかなり離れた場所で聴くことになります。
 このような舞台構成ですと音響は、想像するに電気的に集音した音声を同時的にプログラム編集して、会場内に設置したスピーカーを通して、生の音とミックスして会場の聴衆に聴かせる、という方法をとっていると思われますが、ステージから距離が離れて開放された空間で聴く聴衆にはどんなサウンドとして聴こえるのか、と興味をそそられます。
 この野外コンサートでもう一つ不思議だったのは、プログラムの中程で演奏された「子供の不思議な角笛」の第11曲に少年合唱の部分がありますが、この少年合唱は野外ステージの近くにある教会の聖堂で演奏されていたのです。そしてこの聖堂での合唱は野外ステージの演奏の合唱パートとして歌われているわけなので、おそらく指揮者は聖堂内の合唱を映像と録音音声をモニターしながら指揮をしており、聖堂内の合唱団も同じくTVモニターで指揮を見ながら歌っていたのでしょう。会場の聴衆には合唱団の姿は見えなくて音声だけミキシングされた一つの演奏として聴いていたわけです。TV画面で見る限りモニターの様子は見えないので、ほとんど違和感なく聴けましたが、全く現代の音響技術、映像技術には恐れ入りました。音響、映像技術に詳しい人にとっては珍しくないのかも知れませんが、私には不思議でした。

 この放送の後半に、マリス・ヤンソンス指揮による、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団演奏会の、同じくマーラーの交響曲第3番の演奏が放送されたので、これも聴いたのですが、演奏そのものの違いは別にして、さすがに名にし負うコンセルトヘボウの素晴らしいホールの音響を収録した音と、先の野外ステージで収録した多分に人工的にミキシングした音とは大いに違った印象を受けました。コンセルトヘボウの奥行きのある豊かな音響の放送に比べると、野外ステージの放送はクリヤーで美しい音響ではあったものの、やや硬質で浅く感じられたのはあながち先入観のせいばかりではないように思いました。

 しかし、いずれにしても現代の音響技術は大変なもので、NHKが海外の放送局やプロダクションと共同制作して毎週のように放送している海外の音楽祭やコンサート、オペラ公演などが最先端のサラウンド・ステレオサウンドで居ながらにして聴ける時代に遭遇したのは大変幸せなことだと思います。
 私たちの世代では、昔のLP時代のアナログの音は良かった、という意見も多く、私も自分の経験から同感する部分はありますが、そうは云っても、楽器の一つ一つの音色、ホールの共鳴音を微妙に拾って再現する現代の最先端音響技術は、一流の音楽家の演奏会が目白押しの今日においても、そうそう繁く生の演奏を聴くことも出来ない私などにとっては大変ありがたいものです。
 しかし個人にとってはこうした状況も、それに適った再生装置と環境があってこそ享受できるものです。NHKの放送を聴きながら我が家のオーデイオ装置をいまひとつランクアップしたいものと思案していますが、財源問題となると悩ましいところです。

 長々しすぎると思いつつ、パンの皆さんにも共通の興味があるかと思い書き連ねてしまいました。
 なお、このNHKプレミアムシアターの番組は10月4日BS2で0時40分から再放送があります。深夜ですが今回見逃された方はチェックしておかれたらとお薦めしす。
 

ゆり先生、望先生のご期待に応えて

 投稿者:肖像君  投稿日:2010年 9月20日(月)13時27分6秒
  ゆり先生、望先生の言われる通りパンの初演まで、後1年です。練習回数がどのくらいになるか計算してみました。(こういう事が好きなのです)今年9月後2回、10月4回、11月4回、12月3回 計13回(ただし、この中には12月27日クリスマスコンサートのメドレーなどの練習に何回か必要でしょう。その分だけ少なくなります)        来年2011年 単純に 一ヶ月4回として4回×8=32回  13回+32回=45回
 (来年のなぎさみちの応援メサイヤの練習回数を多少ひいて)約40回、それに合宿・特訓など加えて約45回、この回数が多いか、少ないか、よくわかりませんが、兎に角毎回の練習をお互い自覚をもってがんばりましょう。ゆり先生の言われる「自分のマイナス部分を意識して+の方向に向けて努力する」、望先生の言われる「全体が一つになって心もハーモニーも」、人様の事を言っている場合では有りません。私が一番頑張らねばならないのですから。
 

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